セブ市
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セブ市
Dakbayan sa Sugbo
Lungsod ng Cebu
City of Cebu

位置

セブ市の位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯10度17分 東経123度54分 / 北緯10.283度 東経123.900度 / 10.283; 123.900
歴史
市制施行1937年2月24日
行政
フィリピン
 地方中部ビサヤ地方
 州セブ州
 市セブ市
市長Tomas Osmena
(LP)
地理
面積 
  市域291.2 km2
標高17.0 m
人口
人口(2015年[1]現在)
  市域922,611人
    人口密度  3,168人/km2
その他
等時帯フィリピン標準時 (UTC+8)
夏時間なし
市外局番32
公式ウェブサイト : ⇒http://www.cebucity.gov.ph/

セブ市(英語: Cebu City、セブアノ語: Dakbayan sa Sugbo、タガログ語: Lungsod ng Cebu)は、フィリピンセブ州の州都である。フィリピン国内で人口が5位(ケソンマニラカローカンダバオに次ぐ)の大都市である。メトロ・マニラメトロ・セブを単一の都市と見なせば国内第2位の大都市となり、狭義のセブ市はメトロ・セブの中心地域となっている。また、現代の首都であるマニラよりも古い、フィリピン最初期の植民都市でもある。2010年現在の人口は約87万人[1]バランガイ数は80。

セブ市は国際線・国内線など多数の航空路線の重要なハブであり、フィリピン中部のビサヤ諸島から南部のミンダナオ島に至る地域の商業、交易、産業の中心地である。近年は観光業と家具製造が盛んなほか、コールセンター業務、ソフトウェア制作など情報産業アウトソーシング先としても活況を呈している。
概要セブ市の山手に建つウォーターフロント・セブ・シティ・ホテル。旧セブ空港跡地の再開発の一環として建てられ、カジノや国際会議場を擁する

市街はセブ島の東海岸に沿って広がっており、マンダウエ市ラプ=ラプ市タリサイ市などの市町を合わせて「メトロ・セブ」と呼ばれる大都市圏をなしている。メトロ・セブ圏の総人口は2,347,096人(2000年国勢調査)であり、メトロ・マニラに次ぐフィリピン第2位の都市圏を形成している。セブ市の沖にあるマクタン島にあるマクタン・セブ国際空港は、セブ市中心部から車で40分のラプ=ラプ市にある。セブ市の北東はマンダウエ市とコンソラシオン町があり、西は山を越えた西海岸側にトレド市(英語版)とバランバン町が、南はタリサイ市とミングラニラ町がある。マクタン海峡を越えた東はラプ=ラプ市のあるマクタン島で、2本の橋でつながっている。

セブ市は観光都市でもある。周辺はビーチ・リゾートが多く、セブ市はその中継点でありショッピング都市にもなっている。セブ市は多くのローマ・カトリックの教会が立ち並び、征服者レガスピが建設したサン・ペドロ要塞など、植民都市の名残が随所に残る。

セブ市は南に海、北に山がある。大きく分けて、植民地時代以来の古い下町である海沿いの地区と、第二次大戦後丘陵地の上に拡大した近代的な山手の地区に分かれている。コロン通りより南の下町には昔ながらの大きな市場カルボンマーケットが港にあるほか、サント・ニーニョ教会(英語版)、セブ大聖堂、市役所、サン・ペドロ要塞などが集中する。下町から北へオスメーニャ通りを進んだ先にあるオスメーニャ・サークルが山の手の中心で、博物館や州政府、観光客相手の巨大ショッピング・モールや邸宅街が並ぶ。リゾートホテルはセブ市の山手やマクタン島の南東海岸に多数ある。

こうしたフィリピン中南部の文化・交易の拠点であることから『Queen City of the South』(南部の女王都市)の異名がある。セブの中心部
歴史「セブ島#歴史」および「フィリピンの歴史」も参照サン・ペドロ要塞1930年代の市街地。YMCAと日系商店の大正バザール

セブ、またはスグブ (Sugbu) はスペインによる植民地化以前から港町だった。中国)のほか東南アジアの多くの国々と取引が行われており、イスラム教も伝わっていた。

1521年4月7日、フェルディナンド・マゼランはセブに上陸した。彼はセブの領主であったラジャ・フマボン (Rajah Humabon) を懐柔した。ラジャ・フマボンとその王妃、住民たちは同年4月14日に洗礼を受け、最初のフィリピンのキリスト教徒となった。マゼランは地元の領主同士の争いに介入してキリスト教に改宗させていったが、この島々をスペイン領として宣言することはできなかった。マゼランに従わない領主ラプ=ラプとの戦いが隣のマクタン島で4月27日に起こり、討ち死にしたからである。

1565年4月27日、征服者(コンキスタドールミゲル・ロペス・デ・レガスピは、兵士たちと聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士と共に上陸し、ラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の町を攻撃・占領、フィリピン植民地化の最初の足がかりを築いた。マゼランがサン・ミゲルと改名したセブの町はレガスピによって「ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesus、イエスの最も聖なる御名の村)」と再び改名され、マニラが植民地化されるまでの6年の間、セブ市は新しいスペイン植民地の首都であった。彼らはこの海岸に、メキシコとの貿易や現地人との戦争に備えた港湾兼要塞のフエルサ・デ・サン・ペドロ(サン・ペドロ要塞)を建設したが、これは今もセブ市の海岸に残っている。

3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続いた。1901年、セブは町 (municipality) となり1937年2月24日、市 (chartered city) となった。第二次世界大戦では日本軍に占領された後、1945年にはアメリカ軍による奪回が行われ激しい戦場となった。戦後は、地主と小作の対立が激しくゲリラが活動する他の島や都市と比較してセブ市は平穏なため、多くの海外からの工業投資や観光投資を呼び込んでいる。
地理

セブ市はフィリピン中部の中部ビサヤ地方セブ州の都市で、南北に細長いセブ島の東海岸中央部に位置している。市域は315km2で、北東でマンダウエ市とコンソラシオン(英語版)、西でトレド市(英語版)とバランバン(英語版)、Asturias(英語版)、南でタリサイ市とミングラニラ(英語版)に接する。

また、マクタン海峡を挟んだ東にはマクタン島ラプ=ラプ市が存在しており、そのさらに先にはボホール海峡を挟んでボホール島がある。

年間の平均気温は28℃で、1年を通して明確な雨季は存在しない[2]


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