セパルトゥラ
Sepultura
ドイツ・ニュルンベルク公演(2018年3月)
バンド ロゴ
基本情報
出身地 ブラジル
ミナスジェライス州ベロオリゾンテ
ジャンルグルーヴ・メタル
スラッシュメタル[1][2]
デスメタル[1][2]
ヘヴィメタル[1][2]
オルタナティヴ・メタル[2]
プログレッシブ・メタル[2]
スピードメタル[2]
ブラックメタル(初期)
活動期間1984年 - 現在
レーベルCogumelo Records
ロードランナー・レコード
SPV
ニュークリア・ブラスト
共同作業者ソウルフライ
カヴァレラ・コンスピラシー
公式サイト ⇒オフィシャルサイト
メンバーデリック・グリーン (Vo)
パウロ Jr.
セパルトゥラ(Sepultura)は、ブラジル出身のヘヴィメタル・バンド[1]。
南米のロック・アーティストとして、世界的な成功を収めたグループの一つ。バンドはカヴァレラ兄弟が主導した時代と、現行の2つの期に分かれる。
来歴
マックス・カヴァレラ在籍時代(1984年 - 1996年)若き日のマックス・カヴァレラ(Vo/G)イゴール・カヴァレラ(Ds) 2006年
1984年、マックスとイゴールのカヴァレラ兄弟を中心として、ミナスジェライス州ベロオリゾンテで結成。翌1985年にワグナーがサルコファーゴ結成のため脱退、パウロ Jr.とジャイロ・ガウデスが加入し、マックスがヴォーカルを兼任。同年、オーヴァードーズとのスプリット・アルバムでレコード・デビューを果たした[3]。
1986年には、バンド名義でのフル・アルバム『モービッド・ヴィジョン』を発表する。同作は、翌年にはドイツのレーベル「シャーク」を通じてヨーロッパでも発売された[3]。2枚目のアルバムを発表した後の1987年にジャイロが脱退。後任として、マックスのローディーを務めていたアンドレアス・キッサーが加入した[3]。
ブラジルで活動していた当時はヴェノムらの影響が色濃くブラックメタル色の強いサウンドであったが、ロードランナー・レコードと契約しアメリカに本拠地を移す中で、洗練されたスラッシュメタル・スタイルに変遷。その音楽性は1991年の『アライズ』で頂点に達した。バンドは、同アルバムで全英アルバムチャートのトップ40入りを果たし[4]、アメリカのBillboard 200でも初のチャート・インを果たして119位に達した[5]。
折からのポスト・スラッシュ、グルーヴ・メタルムーブメントの中で発表した『ケイオスA.D.』(1993年)は母国ブラジルの民族音楽の楽器やリズムを取り入れた重みのあるサウンドで、ビルボードチャートのトップ40に入る。続く『ルーツ』(1996年)では、マイク・パットンやコーンのジョナサン・デイヴィスと共演する一方で、ブラジル人ミュージシャンやブラジル先住民族とも共演して、ブラジル伝統音楽の色を強く打ち出した。
しかし、1996年にイギリスで開催された「モンスターズ・オブ・ロック」のステージに立つ直前、息子が急死したことを知らされたマックスが、妻でありバンドのマネージャーでもあるグロリアと共に会場を去ってしまう。土壇場でボーカリストを失ったバンドは3人編成でステージに立つことを余儀なくされた[2]。この出来事がきっかけとなりマックスはバンドを脱退した。
新生セパルトゥラ?以降(1997年 - 現在)ドレッドヘアー時代のデリック(Vo) 2009年
1997年、バンドは新ボーカリストにデリック・グリーンを迎え、翌1998年にアルバム『アゲインスト』を発表。同アルバム収録曲「カマイタチ」では、日本の和太鼓集団鼓童と共演した[2]。
2002年、バンドはロードランナー・レコードから離れ、新たにドイツのSPVや日本のビクターエンタテインメントと契約[6]。同年には全曲ともカヴァーのEP『レヴォルソングス』をブラジルでリリース。2003年にはSPVからアルバム『ロアーバック』をリリースした。
2006年、10作目となるアルバム『ダンテ XXI』発表後、イゴールが脱退。バンドは後任に元ウドラのジーン・ドラベラを加えて活動を続ける。2008年には、母国ブラジルで放映されたフォルクスワーゲンのテレビCMに出演した[7]。2009年には、「時計じかけのオレンジ」にインスパイアされたアルバム『A-LEX』を発表した[2]。
2010年、バンドは新たに大手レーベル「ニュークリア・ブラスト」と契約して[8]、2011年には移籍第1弾アルバム『カイロス』を発表。