セティス・ベイ_(護衛空母)
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セティス・ベイ (CVE-90)
USSセティス・ベイ(1944年8月)
基本情報
建造所カイザー造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種護衛空母 (CVE-90)
級名カサブランカ級航空母艦
艦歴
起工1943年12月22日
進水1944年3月16日
就役1946年4月22日
退役1946年8月7日
要目
排水量7,800 トン
全長156 m
吃水6.86 m
主機3段膨張式蒸気機関 2機、2軸
出力9,000 hp
最大速力19 ノット
航続距離10,240 海里(15ノット/時)
乗員860名
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Mk.12 5インチ砲×1門

ボフォース 40mm機関砲×16門

エリコンKA 20mm機関砲×20門

搭載機最大28機
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セティス・ベイ (USS Thetis Bay, CVE-90/CVHA-1/LPH-6) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の36番艦。艦名は『Dictionary of American Naval Fighting Ships』ではアラスカ州アレキサンダー諸島のクイウ島(英語版)西岸にあるタベンコフ湾の一角の入り江にちなんで命名されたとある。
艦歴

セティス・ベイは1943年12月22日に海事委任契約の下ワシントン州バンクーバーカイザー造船所で起工する。1944年3月16日にリッコ・ボッタ夫人によって進水し、1944年4月21日にドナルド・E・ウィルコックス艦長の指揮下就役する。
第二次世界大戦航空機輸送中のセティス・ベイ(1944年)

サンディエゴ近海での慣熟訓練を終えたセティス・ベイは、6月2日にサンペドロに入港して、太平洋の航空基地宛ての航空機と関係者を乗せて6月5日に出港し、11日に真珠湾に到着。真珠湾を出港後はブタリタリマジュロを経由し、クェゼリン環礁に到着した。帰途、セティス・ベイは陸軍第50整備大隊の関係者を乗せて7月5日に真珠湾に到着。ここで要修理の航空機41機を搭載し、2日後に出港して7月13日にアラメダに到着し航空機を降ろした。三週間後、セティス・ベイはターミナル島(英語版)に移動し、8月11日から9月13日までの間、補充の航空機とパイロットを真珠湾とマーシャル諸島へ輸送した。続く1944年9月から1945年4月中旬までの間、セティス・ベイはカリフォルニアから五度の輸送任務に就き、真珠湾およびフィンシュハーフェンまで行動した。

6月12日、セティス・ベイは航空機輸送のためサンディエゴを出港して真珠湾に向かった。真珠湾に到着後、航空機は72時間以内に戦闘態勢が整えられ、準備を終えた後にグアムに向けて出港した。6月25日、セティス・ベイはアプラ港に到着し、同地で第30.8任務群に編入された。7月12日、セティス・ベイは日本本土への最終攻撃を行う第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)と会合し、40機の航空機を第38任務部隊の空母へ補充した。セティス・ベイは7月22日にグアムに戻って航空機を受領し、24日に出港して31日に再び第38任務部隊と会合。再度グアムに戻って、8月14日から9月8日までアプラ港で停泊した後、アメリカ本国に向かった。

セティス・ベイは9月7日にアラメダに到着し、マジック・カーペット作戦に参加して復員兵の輸送に従事。1946年1月に任務から外れた後、セティス・ベイは8月7日にブレマートンで退役し、不活性化工事が施された。
強襲ヘリコプター空母・強襲揚陸艦

セティス・ベイ (CVHA-1/LPH-6)
USSセティス・ベイ(1963年頃)
基本情報
運用者 アメリカ海軍
艦種強襲ヘリコプター母艦 (CVHA-1)→強襲揚陸艦 (LPH-6)
艦歴
就役1956年7月20日
退役1964年3月1日
除籍1964年3月1日
その後1964年12月にスクラップとして売却。
要目
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1955年5月、セティス・ベイはサンフランシスコ海軍造船所に曳航され、最初の強襲ヘリコプター母艦への改装作業に入った。7月1日に艦種類別が CVE-90 から CVHA-1 に変更され、攻撃輸送部隊に属した。セティス・ベイのヘリコプターは、上陸作戦において海軍と海兵隊上陸用舟艇を助け、縦方向への攻撃を行うとされた。セティス・ベイは1956年7月20日にトーマス・W・サウス2世艦長の指揮下で再就役し、六週間にわたって就役した。

9月20日にセティス・ベイは新しい母港であるロングビーチに到着。ここでキャンプ・ペンドルトン駐留の第一海兵試験部隊 (Marine Corps Test Unit No. 1) のヘリコプター部隊がセティス・ベイへの着陸および離陸のデモストレーションを行った。


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