セストリエーレ
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セストリエーレ
Sestriere

行政
イタリア
ピエモンテ
トリノ
CAP(郵便番号)10058
市外局番0122
ISTATコード001263
識別コードI692
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
気候分類zona F, 5165 GG
公式サイト ⇒リンク
人口
人口929 [1] 人 (2017-01-01)
人口密度36 人/km2
文化
住民の呼称sestrieresi
守護聖人聖エドアルド(Sant'Edoardo)
祝祭日10月13日
地理
座標北緯44度57分0秒 東経6度53分0秒 / 北緯44.95000度 東経6.88333度 / 44.95000; 6.88333座標: 北緯44度57分0秒 東経6度53分0秒 / 北緯44.95000度 東経6.88333度 / 44.95000; 6.88333
標高2035 (1540-3280) [2] m
面積25.80 [3] km2
セストリエーレの位置

トリノ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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セストリエーレ(イタリア語: Sestriere)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約900人の基礎自治体コムーネ)。

著名なスキーリゾート地で、国際的なアルペンスキーの競技大会が行われる。また、自転車ロードレースの舞台としても知られる。
目次

1 名称

2 地理

2.1 位置・広がり

2.1.1 隣接コムーネ


2.2 地勢


3 行政

3.1 分離集落


4 歴史

5 社会

5.1 経済・産業


6 スポーツ

6.1 スキー

6.2 自転車ロードレース

6.2.1 ツール・ド・フランス

6.2.2 ジロ・デ・イタリア


6.3 陸上競技


7 脚注

8 外部リンク

名称

日本語文献では「セストリエル」「セストリエール」などの表記もされる。

セストリエーレという地名は、ラテン語 ad petram sistrariam に由来する。これは、トリノから60マイル(古代ローママイル)であることを示す。

標準イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。

ピエモンテ語: el Sestrier

オック語: Sestrieras または la Sestriera

フランス語: Sestrieres

地理 トリノ県概略図
位置・広がり

トリノ県南西部に位置するコムーネである。県都・州都トリノから西へ65km、クーネオから北西へ79km、グルノーブルから東南東へ97kmに位置する[4]
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

サウゼ・ドゥルクス - 北

プラジェラート - 北東

サウゼ・ディ・チェザーナ - 南

チェザーナ・トリネーゼ - 西

ウルクス - 北西


地勢

セストリエーレには、キゾーネ渓谷(Val Chisone)とスーザ渓谷(Valle di Susa)の間に中心地ストリエーレ・コッレがある。北西にはフライテーヴェ山(Fraiteve, 2701m)、南東にはシーゼス山(Sises, 2658m)とプンタ・ロニョーザ峰(Punta Rognosa, 3280m)がそびえる。住居が集中しているのは、分水線上にあるセストリエーレ・コッレ(Sestriere Colle)、キゾーネ渓谷にあるセストリエーレ・ボルガータ(Sestriere Borgata)、シャンプラス・スーザ渓谷にあるシャンプラス・デュ・コル(Champlas du Col)とシャンプラス・ジャンヴィエ( Champlas Janvier)などである。

セストリエーレは、役場所在地の標高がイタリアで最も高いコムーネである。なお、イタリアで最も高い集落はトレパッレソンドリオ県リヴィーニョ、2,069 m)である。Punta Rognosa (3280 m) Cima Fraiteve (2689 m) Monte Motta 
行政
分離集落

セストリエーレには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

Borgata di Sestriere, Champlas du Col, Champlas Janvier
歴史 トリノオリンピック時の選手村

1930年フィアット創業者のジョヴァンニ・アニェッリがこの地を購入し、リゾート開発を進めた。2つの円形の高層ホテル(Vittorio Bonade-Bottino 設計)は、この地に最初に建てられたビルディングであり、セストリエーレのシンボルとなっている。また、バンチェッタ山やシーゼス山、フライテーヴェ山に登るケーブルカーが建設された。

1934年10月18日付けの勅令(regio decreto)により、コムーネとして創設された。チェザーナのコムーネの分離集落(フラツィオーネ)であったサウゼ・ディ・チェザーナの一部を分離したもので、この時にシャンプラス・デュ・コル(Champlas du Col)というコムーネが編入され、またプラジェラートのコムーネからはボルガータ(Borgata)の集落が編入された。新コムーネは1935年1月1日に発足し、スキー板を意匠に組み込んだコムーネの紋章が定められた。

1930年代には新しい道路が開通し、スキーのジャンプ台や新たなホテル(Principi di Piemonte)が建設された。また、18コースからなるゴルフ場が開設されており、これはヨーロッパでもっとも標高の高いゴルフ場である。

リゾート開発は第二次世界大戦によって中断したが、1950年代から開発が再開された。ジョヴァンニ・アニェッリの甥 Giovanni Nasi は、1948年から1980年まで町長(シンダコ)を務め、戦後のリゾート開発を主導した。

1967年からはアルペンスキー・ワールドカップの開催地の一つとなり、1997年にはアルペンスキー世界選手権が開かれた。

2006年にはトリノオリンピック男子アルペンスキー競技の会場となった。


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