セストリエーレ
Sestriere
行政
国 イタリア
州 ピエモンテ
県 トリノ
CAP(郵便番号)10058
市外局番0122
ISTATコード001263
識別コードI692
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
気候分類
セストリエーレ(イタリア語: Sestriere)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約900人の基礎自治体(コムーネ)。
著名なスキーリゾート地で、国際的なアルペンスキーの競技大会が行われる。また、自転車ロードレースの舞台としても知られる。 日本語文献では「セストリエル」「セストリエール」などの表記もされる。 セストリエーレという地名は、ラテン語 ad petram sistrariam に由来する。これは、トリノから60マイル(古代ローママイル)であることを示す。 標準イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。 トリノ県南西部に位置するコムーネである。県都・州都トリノから西へ65km、クーネオから北西へ79km、グルノーブルから東南東へ97kmに位置する[4]。 隣接するコムーネは以下の通り。 セストリエーレには、キゾーネ渓谷(Val Chisone)とスーザ渓谷(Valle di Susa)の間に中心地ストリエーレ・コッレ セストリエーレは、役場所在地の標高がイタリアで最も高いコムーネである。なお、イタリアで最も高い集落はトレパッレ(ソンドリオ県リヴィーニョ、2,069 m)である。Punta Rognosa (3280 m) Cima Fraiteve (2689 m) Monte Motta セストリエーレには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。 Borgata di Sestriere, Champlas du Col, Champlas Janvier 1930年、フィアット創業者のジョヴァンニ・アニェッリがこの地を購入し、リゾート開発を進めた。2つの円形の高層ホテル(Vittorio Bonade-Bottino 設計)は、この地に最初に建てられたビルディングであり、セストリエーレのシンボルとなっている。また、バンチェッタ山やシーゼス山、フライテーヴェ山に登るケーブルカーが建設された。 1934年10月18日付けの勅令(regio decreto)により、コムーネとして創設された。チェザーナのコムーネの分離集落(フラツィオーネ)であったサウゼ・ディ・チェザーナの一部を分離したもので、この時にシャンプラス・デュ・コル(Champlas du Col)というコムーネが編入され、またプラジェラートのコムーネからはボルガータ(Borgata)の集落が編入された。新コムーネは1935年1月1日に発足し、スキー板を意匠に組み込んだコムーネの紋章が定められた。 1930年代には新しい道路が開通し、スキーのジャンプ台や新たなホテル(Principi di Piemonte)が建設された。また、18コースからなるゴルフ場が開設されており、これはヨーロッパでもっとも標高の高いゴルフ場である。 リゾート開発は第二次世界大戦によって中断したが、1950年代から開発が再開された。ジョヴァンニ・アニェッリの甥 Giovanni Nasi は、1948年から1980年まで町長(シンダコ)を務め、戦後のリゾート開発を主導した。 1967年からはアルペンスキー・ワールドカップの開催地の一つとなり、1997年にはアルペンスキー世界選手権が開かれた。 2006年にはトリノオリンピックの男子アルペンスキー競技の会場となった。
目次
1 名称
2 地理
2.1 位置・広がり
2.1.1 隣接コムーネ
2.2 地勢
3 行政
3.1 分離集落
4 歴史
5 社会
5.1 経済・産業
6 スポーツ
6.1 スキー
6.2 自転車ロードレース
6.2.1 ツール・ド・フランス
6.2.2 ジロ・デ・イタリア
6.3 陸上競技
7 脚注
8 外部リンク
名称
ピエモンテ語: el Sestrier
オック語: Sestrieras または la Sestriera
フランス語: Sestrieres
地理 トリノ県概略図
位置・広がり
隣接コムーネ
サウゼ・ドゥルクス - 北
プラジェラート - 北東
サウゼ・ディ・チェザーナ - 南
チェザーナ・トリネーゼ - 西
ウルクス - 北西
地勢
行政
分離集落
歴史 トリノオリンピック時の選手村
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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