セシル・テイラー
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セシル・テイラー
Cecil Taylor

基本情報
出生名Cecil Percival Taylor
生誕 (1929-03-25) 1929年3月25日
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ
死没 (2018-04-05) 2018年4月5日(89歳没)[1]
ジャンルジャズアヴァンギャルド・ジャズフリー・ジャズ
職業ピアニスト、バンドリーダー、作曲家、詩人
担当楽器ピアノ
活動期間1956年 - 2018年

セシル・テイラー(Cecil Taylor、1929年3月25日 - 2018年4月5日[1])は、アメリカ人のピアニスト、詩人。

クラシック音楽に基づく教育を受けているが、テイラーは一般的にはフリー・ジャズの先駆者として認識されている。テイラーの音楽は、極めて旺盛な生命力や精力を感じさせるものであり、また、肉体的存在を意識させる方法論、複雑でかつ即興によって創り出された音、塊として聞こえてくる音塊、極めて複雑な複層リズム、こうした要素が特徴だと考えることができる。テイラーのピアノ演奏の技術は、長らくパーカッションにたとえられてきた。例えば、「88個の異なる音階に調整されたドラムズ」と表されたりしている。また、テイラーは、「現代音楽(contemporary-classical)の素養を持ったアート・テイタム」などと言い表されてもきた。
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セシル・テイラーは、ニューヨーク市のクイーンズに生まれた。母の励ましによって幼少期がら音楽を始め、ピアノを始めたのは6歳のときであった。

1950年、テイラーはボストンからニューヨークに引っ越した。スティーヴ・レイシー、ビュエル・ネイドリンガー、デニス・チャールズとカルテットを結成して活動をはじめた。

テイラーは、音楽のカレッジ(New York College of Music)に通った。また1952年からはボストンのニューイングランド音楽院にも親戚の家から通った。ニューイングランド音楽院においてはピアノ科に籍をおき[2]、作曲・編曲、和声学を学んだ。この時期、ヨーロッパの近代クラシック(特にバルトーク)と現代音楽(特にシュトックハウゼン)に親しんだ[3]

1955年、最初の録音がボストンにおいて行われ『ジャズ・アドヴァンス』(1956年)として発表された。同作はトム・ウィルソンによる初プロデュース作品でもある。1958年10月にはジョン・コルトレーンと共演してリーダー・アルバム『ステレオ・ドライヴ』を録音したが、のちにコルトレーン名義の作品『コルトレーン・タイム』(1962年)として再発された。

1960年代初頭には、キャンディド・レコードに録音を残している。のちに共演を重ねるアルトサックス奏者のジミー・ライオンズとの初共演は、1961年9月のギル・エヴァンスのアルバム『イントゥ・ザ・ホット』の録音であった。テイラーがフリー・ジャズにおいて強烈な個性を確立したのは『ネフェルティティ、ザ・ビューティフル・ワン・ハズ・カム』(1962年)からであった。1966年にはブルーノート・レコードに代表的なアルバムを残している。

1970年代以降はソロ・ピアノ、トリオ、ビッグバンドなど多彩な編成で活動を行なっている。1973年に初来日し、各地でコンサートを行った。5月22日、新宿・厚生年金会館大ホールで行われたライブは録音され『アキサキラ』として発表された。

1988年、6月から7月にかけて1ヵ月間コンサートをベルリンにおいて開催して、FMPレーベルに11枚のアルバムを残している。

ベルリンにおいて1999年まで開催されていたフリー・ジャズのライブ・イベント Total Music Meeting における演奏を録音したアルバムとして、1989年、1996年、1999年のものの計 6枚がある。

2013年度の京都賞思想・芸術部門(音楽分野)を受賞した[1]。2018年4月5日、ニューヨークブルックリンの自宅で逝去。89歳没。死因は分かっていない[1]
批評

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中山康樹は、「セシル・テイラーは、フリー・ジャズ以前から『変わった文体』をもっていた。つまりセシル・テイラーこそがフリー・ジャズの創始者の筆頭であった」と評している[4]

間章は、ギル・エヴァンスの1962年のアルバム『イントゥ・ザ・ホット』もセシル・テイラーのアルバムと捉えている[5]

1973年5月22日、新宿・厚生年金会館大ホールにおける公演の観客席には、日本のフリー・ジャズピアニスト山下洋輔がおり、テイラーの演奏に衝撃を受けた[6]。2007年に、両者は共演をしている。

日本のジャズ・ミュージシャン大谷能生もファンであることを公言しており、自身のソロアルバム『JAZZ ABSTRACTIONS』にはテイラーの代表作『コンキスタドール』をサンプリングした楽曲が収録されている。
バレエ・ダンス

ピアノに加え、テイラーはバレエ・ダンスにも興味があった。テイラーが若い頃に亡くなった彼の母親はバレエダンサーであり、ピアニスト、ヴァイオリニストでもあった。1977年、1979年にはダンサーのダイアン・マッキンタイアと協働。また、1979年には12分間のバレエ「Tetra Stomp: Eatin' Rain in Space」を作曲、演奏した。
詩人

テイラーは詩人でもあり、ロバート・ダンカン、チャールズ・オルソン(英語版)、アミリ・バラカらの影響を受けている。自作の詩を演奏に用いたり、自らのアルバムのライナーノーツに掲載したりしている。『Chinampas』(1987年)には詩の朗読も収められている。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム

『ジャズ・アドヴァンス』 - Jazz Advance
(1955年12月録音)(Transition) 1956年

ジジ・グライスドナルド・バード・ジャズ・ラボラトリーと共同名義, 『アット・ニューポート』 - At Newport(1957年7月録音)(Verve) 1958年

『ルッキング・アヘッド』 - Looking Ahead!(1958年6月録音)(Contemporary) 1959年

『ステレオ・ドライヴ』 - Stereo Drive(1958年10月録音)(United Artists) 1959年。
のち(改題)コルトレーン・タイム - Coltrane Time (United Artists/Blue Note) 1962年。


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