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セウェルス朝(セウェルスちょう、193年 - 235年)は、ローマ帝国における王朝の一つで、セプティミウス・セウェルス、カラカラ、ゲタ、ヘリオガバルス、アレクサンデル・セウェルスら5名の皇帝による治世を指す。途中でマクリヌスによる帝位簒奪を経ており、これを含む場合もある。
概要セウェルス朝の家系図
背景「ローマ内戦 (192年-197年)」を参照
帝政中期、異国の侵入はマルコマンニ戦争での勝利を境にしてやや小康状態に入っていたが、常備軍の肥大化と政治力の拡大は深刻な内憂外患となりつつあった。そんな最中でネルウァ=アントニヌス朝の6代君主コンモドゥス帝が狂気に陥り、暴政の末に暗殺される事件が発生した。 コンモドゥスを除いて同王朝に男系子孫(女性はあり)はなかった為に断絶が決定的なものとなり、各地で「第四の王朝」を望む諸侯が抗争を繰り広げた。最終的にペスケンニウス・ニゲル、クロディウス・アルビヌス、そしてセプティミウス・セウェルスの三名の将軍で争った。
セウェルスは政敵を打ち倒した後、軍の支持を取り付けることで元老院や民衆を押さえ込んで新たな王朝を承認させた。その点では軍・元老院・民衆の三権を基本的には尊重したそれ以前の王朝に対し、セウェルス朝は最初から軍事独裁としての性質が強かった。これは後の軍人皇帝時代に頻発する「軍による帝位簒奪」を予兆させる出来事とも捉えられる。マクリヌス セウェルスの後を継いだカラカラは共同皇帝であった弟ゲタを殺害する暴挙に及び、更に様々な暴政を繰り広げてセウェルス朝に対する不満が高まった。それでも軍を支持基盤とする方法を遵守していたカラカラの帝位は磐石であったが、暗殺により倒れるとセウェルス朝に男系男子が居なかったことから一度セウェルス朝は断絶している。 その政治的空白で台頭したのがカラカラの側近マクリヌスであり、帝位を元老院に承認させた上で自らの子息を共同皇帝にするなど早くも新しい王朝成立を画策していた。これに対してセウェルスの妻ユリア・ドムナの生家でセウェルス朝の外戚として権威を得ていたバッシアヌス家が、ドムナの姪(姉マエサの娘)が産んだ息子ヘリオガバルス(カラカラにとっては伯母の孫(従甥))を頭目に反乱軍を組織した。
一時的な断絶と復興