セイラム市
City of Salem
位置
バージニア州におけるセイラム市の位置
位置
セイラム (バージニア州) (アメリカ合衆国)アメリカ合衆国の地図を表示セイラム (バージニア州) (バージニア州)バージニア州の地図を表示
座標 : 北緯37度17分12秒 西経80度3分21秒 / 北緯37.28667度 西経80.05583度 / 37.28667; -80.05583
セイラム(英: Salem)は、アメリカ合衆国バージニア州中央部南西に位置する独立市である。東がロアノーク市に接している以外、市境は全てロアノーク郡に囲まれている。ロアノーク大都市圏に属しており、バージニア州ロアノーク地域に入っている。2010年国勢調査での人口は24,802人だった[1][2]。管轄区分でロアノーク郡とは分かれているが、ロアノーク郡の郡庁舎が市内にある。昔はセイラム市がロアノーク郡の郡庁所在地だったが、現在の行政事務所はロアノーク郡の未編入領域にある。セイラム市とロアノーク郡は監獄を共有している以外、政治的には別々である。セイラム市民はロアノーク郡に対して税金を払っていない。アメリカ合衆国商務省経済分析局は統計上の目的でセイラム市とロアノーク郡を1つにしている。
市内にはロアノーク・カレッジがある。全米大学体育協会のディビジョンIII全国フットボール選手権(別名エイモス・アロンゾ・スタッグ・ボウル)と同じくディビジョンIII男子バスケットボール選手権が、毎年ここで開催されている。またマイナーリーグ野球チームのセイラム・レッドソックス(元セイラム・アバランシェ)が、本拠地としている。 セイラムの初期の歴史は、紀元前8000年から18世紀半ばまで、インディアンの考古学的物証によって明らかになっている。ヨーロッパ人が最初にセイラム地域を探検したのは1671年のことであり、スー語族のトテロ族が近くの村に住んでいた[3]。探検家のトマス・バッツとロバート・ファラムが最初に地域の地名を記録した。トテロ族のトテロの町がその1つであり、トテロ族は案内人を出してさらなる探検に協力した。1752年、現在のロアノーク郡、セイラムの町の西に砦が建設され、アンドリュー・ルイス将軍に因んでルイス砦と名付けられた。セイラム市内のアンドリュー・ルイス中学校もルイスに因む命名である。グレート道路は今日、アメリカ国道11号線、後に州間高速道路81号線にほぼ沿っている。セイラムの町はこの道路沿いで旅人の世話をする小さな集落で始まり、公式には1802年に設立され、1806年には認証を受けた。セイラムという町の名が付けられた経緯は不明である。最も受け入れられている説では、町の著名な住民ウィリアム・ブライアンが、ニュージャージー州セイラムから移転してきたことを顕彰したというものである。南北戦争の間に北軍から2度攻撃された。南軍の将軍ロバート・E・リーがアポマトックス・コートハウスで降伏する前に、セイラムから集められたセイラム・フライング砲兵隊が南軍最後の砲弾を発砲したと言われている。市内にある小学校4つの内の1つが、アフリカ系アメリカ人科学者G・W・カーバーに因んで名付けられている。教育現場が人種統合される以前、この学校はアフリカ系アメリカ人のための高校だった。 セイラムは1953年にサウスセイラムの町を吸収し、1960年には東部の土地も併合して、人口は16,058人となり、当時のバージニア州で人口最大の「町」だった。1967年12月31日、ロアノーク市による併合の可能性を避けるために、公式に「市」になった。
目次
1 歴史
2 地理
3 人口動態
3.1 収入
4 脚注
5 外部リンク
歴史