セイヨウトチノキ
セイヨウトチノキ
分類
セイヨウトチノキ(Horse-chestnut, Conker tree)は、大型の落葉樹である。マロニエ(仏、marronnier)とも言う [1]。
セイヨウトチノキはウマグリ(英名をhorse-chestnut)ともいう[1]。これはこの木はクリの仲間であるという誤解と、馬の胸部疾患の治療に用いられたことに由来する[2]。馬への利用はトルコに始まりヨーロッパに伝えられた[1]。 バルカン半島からトルコの森林地帯が原産地とされている[1]。ギリシア、アルバニア、マケドニア共和国、セルビア、ブルガリア等、バルカン半島の山地の狭い地域に自生する[3]。また温帯地域では、世界中で広く栽培されている。 成長すると36mの高さになり、ドーム状の樹冠が形成される。葉は、各々13cmから30cmの小葉が5から7枚向かい合って付き、7cmから20cmの葉柄を持つ60cm程度の手のひら型となる。葉が落ちた後に枝に残る葉痕
目次
1 分布
2 生育
3 歴史
4 利用
4.1 実の利用
4.2 樹木の利用
5 出典
6 関連項目
7 外部リンク
分布
生育 セイヨウトチノキの花
花は通常白色で赤い斑点があり、春に咲く。20個から50個の小花からなる円錐花序で、高さは10cmから30cmになる。
それぞれの円錐花序からは、通常1個から5個の果実ができる。果実は緑色で柔らかいとげのあるカプセル状で、1つの(稀に2つか3つの)トチの実と呼ばれるナッツのような種子を持つ。トチの実は直径2cmから4cm、光沢のある茶色であり、底に白色の跡がある[4]。 セイヨウトチノキはギリシアの山地には自生していたものの、ヨーロッパの他地方では知られていなかった。オーストリア大使としてオスマン帝国に駐在していたブスベックはヨーロッパにチューリップを伝えたことで知られているが、1557年、そのブスベックがコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)でセイヨウトチノキについて書いた文章が最古の文献となる。 ウィーンのマキシミリアン2世に仕えた庭師のクルシウスがヨーロッパに株を移入した[1]。1615年にはバシュリエがフランスに株を移入している[1]。 17世紀、樹皮と種子が薬剤製造者から解熱剤として評価されるようになるとキナノキの代用品として用いられるようになった[1]。1806年のナポレオン1世の大陸封鎖令で製薬原料をフランス国内で調達しなければならなくなりセイヨウトチノキが見直された[1]。それでも信頼性の高いキナノキのほうが好まれた[1]。 セイヨウトチノキの血行不全への効用が広く認知されるようになるとともに解熱剤の特性では利用されなくなった[1]。 春に咲く美しい花のための栽培は、夏が暑すぎない気候の領域で成功している。その北限は、カナダのエドモントン、アルバータや[5]、ノルウェーのフェロー諸島[6]、ハーシュタ等である。南方では、冷涼な山地が生育に適している。 若くて新鮮な実はアルカロイドのサポニンやグルコシダーゼを含み、弱毒である。触れるだけでは危険ではないが、食べると病気になる恐れがある。 サポニンを含むうえに苦くてまずいため食用にはしない[1]。ただし北米の先住民族はサポニンを除去するため長時間かけて実を茹でてから食していた[1]。また静脈系疾患向けに乾燥エキス剤に加工されているものもある[1]。サポニンアエスシン
歴史
利用 セイヨウトチノキの葉と幹
実の利用 セイヨウトチノキの種子 芝生の上での発芽
シカ等のある種の哺乳類は、毒を分解し、安全に食べることができる。馬にとっては健康に良いと言われるが、証明はされておらず、馬に与えることは賢明ではない。
かつて、トチの実はフランスやスイスで麻や亜麻、絹、羊毛等の脱色に用いられていた。石鹸分を含むため、6リットルの水当たり20個の実の皮をむいてやすりをかけるか乾燥させ、石臼で挽いてリンネルや毛織物等の洗濯に利用されていた。
2つの大戦の間、トチの実はデンプンの原料として使われ、このデンプンはハイム・ヴァイツマンの考案したClostridium acetobutylicum発酵法を用いてアセトンの合成に用いられた。アセトンはバリスタイトからのコルダイトの成形の溶剤として用いられた。
イギリスやアイルランドでは、種子が子供の遊びに使われている。なお、トチの実は、客間に飾るとクモを避けるという迷信がある[8]。