セイユウ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年7月)

セイユウ
欧字表記Seiyu
品種アングロアラブ(アラブ血量25.00%)
性別
毛色鹿毛
生誕1954年3月28日
死没1977年4月28日(24歳没・旧表記)
ライジングフレーム
母弟猛
母の父レイモンド
生国 日本北海道浦河町
生産者日高種畜牧場
馬主河野通
調教師稲葉秀男
競走成績
タイトル啓衆社賞最優秀アラブ(1956・1957年)
JRA顕彰馬(1985年選出)
生涯成績49戦26勝
(対サラブレッド戦24戦5勝)
獲得賞金758万5740円
勝ち鞍セントライト記念(1957年)
読売カップ(春)(1957年)
読売カップ(秋)(1957年)
テンプレートを表示

セイユウとは日本競走馬中央競馬で唯一サラブレッド重賞を勝ったアングロアラブである。アラブの怪物とも呼ばれた。アラブ血量は25パーセント1985年顕彰馬に選出された。
戦績

セイユウがデビューしたのは1956年7月15日福島競馬場のアラブ系オープンである。初戦は2着敗退であった。1週間後同条件のレースを勝ちあがり、秋開催に入った4戦目からは敵なしの状態となった。4歳4月のアラブ4歳ステークスで66キロを背負って勝利し、ついに15連勝を達成している。次走のアラブステークスでは68キロの酷量に大出遅れが重なり2着に敗れたが、目標としていた読売カップ(春)では2着に7馬身差つける圧勝。もはやアラブには相手がいなくなってしまったセイユウの関係者は、サラブレッドへの挑戦を決める。

対サラブレッドの最初のレースは七夕賞(現在は重賞として施行されるが、当時はオープン競走)で、セイユウはこれに勝利した。次走の福島記念(こちらも同様)も出走頭数が3頭と少なかったこともあって難なく制し、続く2戦は負けてしまったものの皐月賞優勝馬ヘキラクに先着するなど一線級のサラブレッドにも負けない力を見せていた。生涯最高のレースとも言われるセントライト記念では、この年の日本ダービー3着のギンヨク、のちに菊花賞優勝馬となるラプソデー天皇賞・秋優勝馬になるセルローズらを破り1着となり、サラブレッド重賞を制覇した。その相手関係ゆえ、菊花賞に出走できるならば勝てたのではないか、という声も上がった(クラシック登録の関係でアングロアラブは出走できない)。

また、オールカマーではキタノオーハクチカラといった当時のサラブレッド最強クラスと戦い、4着に敗れた。このレースでハクチカラがキタノオーに敗れたのは騎手の保田隆芳が「日本ダービー馬がアラブに負けるわけにはいかない」と早めに仕掛けたのが一因という話も残っている。

年末にはアラブの読売カップ(秋)をレコードタイムで連覇。ちなみに有馬記念のファン投票でも3位に入り出走可能であったが、結局読売カップを選んで出走を見送っている。

5歳時はサラブレッドのオープンクラスを戦い続け、天皇賞・秋7着を最後に現役を引退した。ただし、この競走中にセイユウは種子骨を骨折しており、騎乗した渡辺正人騎手は「無事だったら勝っていたかも知れない」とのコメントを残している。
引退後

引退後は種牡馬として活躍した。アラブ血量がアングロアラブであるための下限である25パーセントであったため、サラブレッドとの交配でアングロアラブを生産することはできなかったが、アラブ系の繁殖牝馬の相手として人気が高く、供用2年目には年間100頭を超え、1966年には1年間の種付け数としては当時の世界記録となる238頭の記録を樹立するなど、その怪物ぶりも相変わらずであった。そのために名前をもじって「性雄」という異名まで付くことにもなった。なお、種牡馬としてこのような異名が付いた例は、本馬を別とすれば「性豪」と呼ばれたチャイナロック(サラブレッド)くらいのものである。

しかし、この種付け頭数について、あまりに多すぎると一部から疑念を招く事態になってしまう。競走馬の繁殖では自然主義が徹底されており人工授精は厳禁となっているが、これを行っているのではないかという疑念を示した血統管理の団体の担当者のほか、農林省の役人までもが種付けの監視に来るという事態にまで発展した。

ところが、当のセイユウはこれらの者たちの前で連日4頭の牝馬への種付けを涼しい顔でこなし、あらぬ疑惑を払拭してみせた。かくて監視に来た者たちは皆一様に納得し、むしろセイユウの怪物という異名に恥じぬタフネスぶりに感心するばかりであったという。

こうして、驚異的な種付け件数を誇ったセイユウであったが、1977年4月28日、朝恒例の運動から厩舎に帰ってきた矢先、突然崩れ落ち、予想外の死を迎える。死因は心臓麻痺。3万円から始まった種付け料は、死の直前には12倍の35万円に跳ね上がっていた。
競走成績

以下の内容は、『優駿』2011年8月号、123頁に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)頭数人気着順タイム着差騎手斤量

[kg]1着馬/(2着馬)
1956.7.15福島アラブ系3歳オープン芝800m(不)552着5身高松三太52バンダイサン
7.21福島アラブ系3歳オープン芝800m(不)621着51 0/53 1/2身高松三太51(アタミリユウエイ)
7.25福島アラブ系3歳優勝芝1000m(稍)423着高松三太51フクヒカリ
9.9東京アラブ系3歳オープン芝1000m(良)621着1:03 1/52身高松三太51.5(フクヒカリ)
9.22東京アラブ系3歳優勝芝1200m(稍)521着1:17 1/52身高松三太51(バンダイサン)
9.30東京アラブ系3歳オープン芝1000m(稍)1311着1:04 1/5同着高松三太52(バンダイサン)
10.13東京アラブ3歳S芝1200m(不)511着1:18 4/51 3/4身高松三太55(バンダイサン)
10.28中山アラブ系3歳オープン芝1000m(良)911着1:02 4/52身高松三太53(フクヒカリ)
11.10中山アラブ3歳S芝1100m(良)711着1:10 2/51 1/2身高松三太57(ギンヒメ)
11.24東京アラブ系3歳オープン芝1200m(良)511着1:16 1/53身高松三太54(ギンヒメ)
12.23中山アラブ系3歳オープン芝1100m(良)1111着R 1:09 0/54身高松三太56(コトブキ)
1957.1.5中山アラブ系4歳オープン芝1000m(良)611着1:02 3/51身高松三太55(ハマイチ)
1.15中山アラブ4歳S芝1700m(良)711着R 1:49 4/51 1/4身高松三太62(キクカブト)
3.10東京アラブ系4歳オープン芝1600m(良)911着1:42 0/53身二本柳俊夫57(キクカブト)
3.23東京アラブ4歳S芝1600m(良)811着R 1:41 1/53 1/2身二本柳俊夫61(キクカブト)
4.6中山アラブ系4歳オープン芝1700m(良)1011着1:50 0/52身二本柳俊夫58(ホウザン)
4.14中山アラブS芝1800m(良)911着1:57 0/54身二本柳俊夫62(ベンケイ)
4.29東京アラブ4歳S芝1800m(良)611着1:54 4/51 3/4身二本柳俊夫66(キクカブト)
5.12東京アラブS芝1800m(重)712着1 1/2身二本柳俊夫68カンダオー
5.25東京アラブ系4歳オープン芝1600m(重)611着1:43 0/55身二本柳俊夫60(ヒロマサ)
6.9東京アラブS芝2000m(稍)611着2:07 3/55身二本柳俊夫70(タカラオー)
6.16中山アラブ系オープン芝1700m(重)511着1:49 0/52 1/2身二本柳俊夫61(ワンライト)
7.7中山読売カップ(春)芝2000m(良)711着2:05 3/57身二本柳俊夫61(ハマノオー)
7.28福島七夕賞芝1800m(稍)521着1:51 4/57身梶与四松52(カツタロー)
8.18福島福島記念芝2000m(良)311着2:05 0/51 1/2身蛯名武五郎57(チカラボシ)
9.8中山オータムハンデ芝1800m(稍)414着蛯名武五郎59タメトモ
9.29中山サラ系特殊ハンデキヤツプ芝1800m(重)532着アタマ梶与四松57(スプリングサン)
10.6中山セントライト記念芝2400m(不)1021着2:41 3/51 1/2身梶与四松59(ラプソデー
10.20中山オールカマー芝2000m(重)844着梶与四松57キタノオー
10.26中山サラ系特殊ハンデキヤツプ芝1800m(重)1016着高松三太62アランデール
11.17東京サラ系特殊ハンデキヤツプ芝1800m(重)622着アタマ梶与四松57アランデール
11.30東京サラ系オープン芝1800m(良)611着1:53 2/54身梶与四松63(マサノボル)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef