セイウンスカイ
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。

セイウンスカイ
1998年11月8日 京都競馬場
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色芦毛[1]
生誕1995年4月26日[1]
死没2011年8月16日(16歳没)
シェリフズスター[1]
母シスターミル[1]
母の父ミルジョージ[1]
生国 日本北海道鵡川町[1]
馬主西山牧場
調教師保田一隆美浦[1]
調教助手青柳義博
厩務員後藤幸一
競走成績
生涯成績13戦7勝[1]
獲得賞金6億1028万2000円[1]

勝ち鞍

GI皐月賞1998年
GI菊花賞1998年
GII京都大賞典1998年
GII日経賞1999年
GII札幌記念1999年


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セイウンスカイ(欧字名:Seiun Sky、1995年4月26日 - 2011年8月16日)は、日本競走馬種牡馬[1]

主な勝ち鞍は1998年皐月賞菊花賞など。1998年二冠馬で、1973年に生産牧場リーディングを獲得した西山牧場初の牡馬クラシック競走勝ち馬である。また、父・シェリフズスターがセイウンスカイの活躍前に行方不明になっていたことも話題となった。
デビュー前
誕生までの経緯

1995年4月26日、北海道鵡川町の西山牧場で誕生した。誕生当時の西山牧場は、創業者である西山正行の方針により、最大250頭もの繁殖牝馬と、自家繋養の種牡馬や種付け料が安価な種牡馬の産駒を中心とした大量生産・大量消費の体制をとっていたが、それに伴う管理費の肥大化や繁殖牝馬の血統更新の停滞、導入した種牡馬の失敗などの影響により不振に陥っていた[2][3]

1996年パーキンソン病を患った西山正行に替わって息子の西山茂行が牧場経営の主導権を握ったことを皮切りに、西山牧場はそれまでの大量生産・大量消費体制から少数精鋭体制への転換を試みて、繁殖牝馬を250頭から50頭まで整理、自家繋養の種牡馬もほぼ全て外部へ売却するなど大幅な改革を行った[2][3]。セイウンスカイの父・シェリフズスターもこの改革に伴って廃用となり、残された産駒は破格の値段で次々と売却されていった[2][3][注 1]。その結果、調教師の要望で売り残した3頭の産駒のなかに、セイウンスカイと、後に日経賞で2着となるセイウンエリアがいた[3]
幼駒時代

育成段階でもとくに目立つところは見せず、当初入厩先として話を進めていた栗東のとある調教師は、セイウンスカイを受け取りには来なかった[2]。その後、調教師免許を取得したばかりの保田一隆が、定年で引退する父親の保田隆芳と入れ違いに厩舎を開業するため、入厩馬を探して父の代から付き合いのある西山牧場を訪れた。しかし、入厩が決まっていない2歳馬はセイウンスカイを含めて4頭しか残っていなかった。当時のセイウンスカイは馬体のバランスが悪く、毛色もくすんだ印象のため見栄えがしなかったが、入厩馬のバランス上どうしても牡馬が欲しかったことに加え、シンボリ牧場由来の母系の良さに変わり身を期待して、セイウンスカイを引き取ることにした[4][注 2]

その後成長したセイウンスカイは、3歳の秋には見違えるほどバランスが良くなり保田を驚かせたが、同時に気性の激しい面を表すようにもなった[4]

1997年10月1日美浦の保田厩舎に入厩する。調教を積むごとに素質を見せ、かつて2冠馬ミホシンザンの調教をつけていた調教助手の青柳義博に、「これは走る」という印象を抱かせるようになった。12月の新馬戦に出走するプランもあったが、万全を期して翌年のデビューとなった[4]
現役時代
4歳(1998年)

1998年1月5日、中山6R芝1600mの新馬戦で鞍上に徳吉孝士を迎えてデビューする。血統が良くないことから評価は低く、またフルゲート16頭の大外枠を引いたこともあって[注 3]単勝5番人気であったが、道中3、4番手につけ第3コーナーで先頭に立つと、そのまま押し切り後続に6馬身差をつけて優勝した[4]

さらに続くジュニアカップでも3番人気と評価は低かったが、スピードの違いであっさり逃げを打つと、1番人気の2着メガヒットに5馬身差をつけ連勝。低評価から一変、クラシック候補へと名乗りを上げた[4]。しかし、このレースの枠入りで、ゲート後ろで立ち止まったところをスターターにステッキで叩かれたことからゲートを嫌うようになり、後の競走生活に尾を引くことになる[5][注 4]

重賞初挑戦の弥生賞は、ジュニアカップ出走後から悪化したソエによる影響で、十分に調教が積めない状態での出走となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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