セイの法則(セイのほうそく、セーの法則、英: Say's law, 仏: Loi des debouches)とは「供給はそれ自ら需要をつくりだす」という命題に要約される経済学上の見解[1]。一般に経済を四つの分野(生産物市場、労働市場、債券市場、貨幣市場)に分類し、貨幣市場を除いた残りの財市場において「全体としての需要と供給がつねに等しい」と考える体系がセイの法則であると考えられている[注釈 1]。「非貨幣市場の総供給と総需要は常に一致する」という原則[2]。
フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイによって発見され、「セイ法則」、「販路説」などとも呼ばれる[2]。「近代経済学の父」リカードが採用したことから、マルクス、ワルラス、ヒックスといった多くの経済学者によって継承されたが[3]、ケインズ『一般理論』(1937年)によって否定され、その問題点が広く認知されるようになった[4]。シュンペーターは「経済分析の歴史」の中で「この法則は社会の総量には当てはまらない。それは太陽系の天体全ての重量を足し合わせたることが無意味であるように(無意味)」と述べている。[5] あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいとする。 ジャン=バティスト・セイが著書『経済学概論』第1巻第15章「販路」に叙述したことからセイの販路法則と呼ばれることもある。単に「セイ法則」とも呼ぶ。セイの法則が主張する重要な点は、経済の後退は財・サービスへの需要不足や通貨の不足によるものではないとする点にある。貨幣がこの相互交換において果たすのは一時的な役割だけである:交換が終わってみると、ある生産物に別の生産物が支払われたのだ、ということが常に見出される(L’argent ne remplit qu’un office passager dans ce double echange ; et, les echanges termines, il se trouve toujours qu’on a paye des produits avec des produits.) ジョン・スチュアート・ミルは、生産につながらない消費(非生産型の消費)の増大による経済刺激策をセイの法則を引用することで批判した。 なおセイ本人は、後代にセイの法則に付け加えられたこまかな定義をつかうようなことはなく、セイの法則とは、実際には同時代人や後代の人たちによって洗練されたものである。その断定的で洞察に富んだ表現から、セイの法則は、ジェームズ・ミルやデヴィッド・リカードなどによって再述され、発展して行き、1800年代中頃から1930年代まで経済学のフレームワークとなった。 セイの法則については、現代では好況等で十分に潜在需要がある場合や、戦争等で市場供給が過小な場合に成り立つ限定的なものと考えられており、また一般に多数の耐久財・資本財がある経済を想定していないことが指摘されている(耐久財のディレンマ)。またセイの法則そのものは後世の研究者により現代においても成熟されつづけている未完成のものであり、たとえば技術革新による供給能力の変化と生産調整による供給能力の変化の違いなどの現実のディテールなどは想定していない。また生産されたものがつねにあらゆる状況で財であることが暗黙の前提となっており、生産され供給されつづける財が累積的に人への効用を拡大させることを前提としている。この点がのちにオーストリア学派により批判された(限界効用理論、限界効用逓減の法則)。 一般過剰供給論争における過少消費説に対するセイの反論は、その多くがマルサスへの書翰の中において述べられている。すなわち商品の余剰所謂過剰生産の問題に於いては、商品の供給が増えると当然価格が下がるのであるから、一つ以上の売れ残りがあらば、需要を刺戟せむと、価格は全商品を清算せしむる迄下がり、余剰は起きようも無いので在る。 又、供給の増加により、生産費を賄えぬ程価格が下がる可能性に対しては、生産量の増加は生産性の向上を齎すので販売価格?に生産費を低下せしむる。続いて、生産サーヴィスの高止まりにより、供給の増加によってもコストが賄えぬという可能性にしても、是等は何時も代替用途が存在して居り、夫れ等との競争によって其様な高さ迄上昇したことを意味するのである。よしんば斯かる要因が企業又は産業に深刻なる影響を与える若くは滅亡の憂き目に逢わせる場合、之れは、是等の要因が他の場所でより一層生産的であり、其重要なる事実が単に反映せられて居るが為めである。[6] セイの法則に相対する考え方として、同時代に発生した一般過剰供給論争における、トマス・ロバート・マルサスやジャン=シャルル=レオナール・シモンド・ド・シスモンディ、および後代のジョン・アトキンソン・ホブソンによる過少消費説 セイの法則として著名な「供給はそれ自らの需要を生み出す」という文言について、ポール・デヴィッドソンによればセイのオリジナルではなく、1803年にジェームズ・ミルがセイの著作を翻訳するさいにそのような要約が登場したと指摘する。
概要
次のことは注目に値する。すなわち、ある生産物は作り出されるやいなや、その瞬間から、それ自身の総額の価値に見合った他の生産物の販路を供給するということである。(Il est bon de remarquer qu’un produit termine offre, des cet instant, un debouche a d’autres produits pour tout le montant de sa valeur.) ? 『経済学概論』(Traite d’economie politique)
セイは、経済や景気の好転、あるいは購買力のさらなる増強は、ただ生産力の増強によってのみなされるのだとの社会的な洞察をもっていた。そこで不況の原因が行政府による消費支出の不足や、通貨としての金(金塊Bullion)の調達・供給不足にあるとする分析に対して、その批判の矛先を向けていた。
「セイの法則」に対する議論