スーリヤ・バハドゥル・タパ(ネパール語:????? ?????? ????、英: Surya Bahadur Thapa、1928年3月21日 - 2015年4月15日)は、ネパールの保守政治家。3人の国王の下で5回、首相を務めた。旧王党派。一人の息子と、三人の娘がいる[1]。
首相の任期は次の通り。
1963年 - 1964年
1965年 - 1969年
1979年 - 1983年
1997年 - 1998年
2003年 - 2004年
はじめの3回は無政党で、後の二回は国民民主党(タパ派)に属した。
生涯を卒業(教養学士)。クルクシェートラ大学から名誉文学博士の称号を授与されている。
1963年、マヘンドラ国王から首相に任命されたのをはじめ、その後もビレンドラの治世でも首相に任命されている[2]。ロケンドラ・バハドゥル・チャンダと対立関係にあり、それぞれの首相在任期間中にたびたび内閣不信任案を出している[3]。
2003年6月4日、チャンダが辞任したことにより、タパはギャネンドラ国王により、5度目の首相に任命された[4]。
2004年5月7日、国民の不満の高まりにより、国王独裁を手放すことを余儀なくされたとき、辞任した。後任にはシェール・バハドゥル・デウバが就任した。
2015年4月15日、ニューデリーの病院で死去した。
脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒Former Nepal PM Surya Bahadur Thapa dies”. Times of India (2015年4月16日). 2015年4月16日閲覧。
^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.673
^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.660
^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.685
参考文献
佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。
関連項目
ネパールの首相
先代
ロケンドラ・バハドゥル・チャンダネパールの首相
1997年 - 1998年次代
ギリジャー・プラサード・コイララ
先代
ロケンドラ・バハドゥル・チャンダネパールの首相
2003年 - 2004年次代
シェール・バハドゥル・デウバ
ダモダル・パンデ / ラナ・バハドゥル・シャハ / ビムセン・タパ / ラナ・ジャンガ・パンデ / ランガ・ナート・パウデル / プシュカル・シャハ / ラナ・ジャンガ・パンデ / ランガ・ナート・パウデル / ファッテ・ジャンガ・シャハ / マートバル・シンハ・タパ / ファッテ・ジャンガ・シャハ
ラナ家による世襲
1846年 - 1951年
ジャンガ・バハドゥル・ラナ / バム・バハドゥル・ラナ / クリシュナ・バハドゥル・ラナ / ジャンガ・バハドゥル・ラナ / ラノッディープ・シンハ・ラナ / ビール・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / デーブ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / ビーム・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / ジュッダ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / パドマ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ / モハン・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ
1951年 - 1960年
マートリカ・プラサード・コイララ / タンカ・プラサード・アーチャリヤ / クンワル・インドラジット・シンハ / スバルナ・シャムシェル・ラナ / ビシュエシュワル・プラサード・コイララ
国王親政
1960年 - 1990年
トゥラシー・ギリ / スーリヤ・バハドゥル・タパ / トゥラシー・ギリ / スーリヤ・バハドゥル・タパ / キルティ・ニディ・ビシュタ / ナゲンドラ・プラサード・リジャール / トゥラシー・ギリ / キルティ・ニディ・ビシュタ / スーリヤ・バハドゥル・タパ / ロケンドラ・バハドゥル・チャンダ / ナゲンドラ・プラサード・リジャール / マリチ・マン・シンハ・シュレシュタ / ロケンドラ・バハドゥル・チャンダ