スーパーモーニング
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スーパーモーニング
ジャンル
ワイドショー番組
出演者出演者を参照
オープニングテーマ曲を参照
エンディング同上
製作
プロデューサースタッフを参照
制作テレビ朝日

放送
音声形式デジタル:モノステレオ放送
アナログ:モノラル→モノステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1993年4月5日 - 2011年4月1日

放送開始 - 2006年3月・2007年4月 - 2011年3月
放送期間1993年4月5日 - 2006年3月31日
2007年4月2日 - 2011年4月1日
放送時間平日8:00 - 9:55
放送枠テレビ朝日系列平日午前のワイドショー枠
放送分115分

2006年4月 - 2007年3月
放送期間2006年4月3日 - 2007年3月30日
放送時間平日7:30 - 9:55
放送分145分
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『スーパーモーニング』(英称:SUPER MORNING)は、1993年4月5日から2011年4月1日までテレビ朝日系列他で放送されていた平日ワイドショー情報番組である。
概要・歴史
1993年4月 - 2000年9月

前身は日本のワイドショーの第1号であり、29年間続いた『モーニングショー』(第1期)で、当時は1時間番組(8:30 - 9:30)だったが、このタイトルとなってからは2時間番組となり、時間もほぼ2倍に拡大した。

NHK総合テレビ『連続テレビ小説』(2009年度まで8:15 - 8:30)終了後である8:30からワイドショーを開始としていた民放各局(テレビ東京を除く)だったが、本番組が8:00開始としたことを皮切りに民放他局もワイドショーを8:00開始に繰り上げていくこととなる[1][注 1][注 2]

初期は芸能ニュースを取り上げず、国会議員や政党役員による討論を定期的に行っていたが、その後は『モーニングショー』以来のリポーター取材による事件や芸能ニュースを中心としたワイドショーに転換した。さらに、番組後半では『モーニングショー』で人気コーナーだった「宮尾すすむのああ日本の社長」などの曜日別コーナーやテレビショッピングの「特選スーパーショッピング」を放送という方針を採った。1993年10月以降は芸能ニュースを取り上げていた。平日正午枠の系列外時差ネット廃止に伴い、本番組は系列外局で放送される唯一のテレビ朝日制作ワイドショーとなった。

番組開始当初の総合司会は『モーニングショー』末期の3人体制を引き継ぎ、若林正人川瀬眞由美(当時テレビ朝日アナウンサー)・池谷幸雄が司会を務めていたが、視聴率の低迷で1993年9月に3人が降板すると、10月4日からは松苗慎一郎(当時テレビ朝日アナウンサー)・伊藤聡子に交代。これ以後は一時期を除いて男女ペアの体制が続く。伊藤は2000年3月まで、6年半司会を担当した。1994年10月に川野太郎が男性の司会に起用された。1995年は阪神・淡路大震災オウム真理教事件を中心に放送。1997年4月からはTBS朝のホットライン』で1982年から8年間スポーツコーナーを担当していた大沼啓延を司会に起用。1999年10月にはTBS『スーパーワイド』の司会を3年8ヶ月担当していた亀和田武を司会に起用。2000年4月から、女性司会者は下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)が務めた。

オウム真理教事件の影響でTBSが1996年に『モーニングEye』『スーパーワイド』を終了。芸能デスクの宇都木員夫・リポーターの高村智庸みといせい子(『モーニングEye』)・あべかすみ山崎寛代(『スーパーワイド』)が1996年6月以降、TBSから当番組へ移籍した。
2000年10月 - 2002年9月

2000年10月には土・日曜日の『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを務めた蟹瀬誠一を総合司会に起用。フジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』内の「とくダネ!TIMES」に相当するコーナーを社会・芸能別に用意。9時台前半には討論コーナーを立ち上げた。また、アメリカ同時多発テロ事件では、蟹瀬がワシントンから1週間取材を行った。

苦戦を続ける中、平日昼では『ワイド!スクランブル』の大和田獏テレビ朝日アナウンサー大下容子のコンビが定着した(後の2009年秋改編で大和田は降板、後任は同局アナウンサーの寺崎貴司)。それを受けてか2002年4月に『癒し路線』を求めて俳優の前田吟を総合司会に起用するも、視聴率は全く奮わなかった。そのためわずか半年でリニューアルに踏み切る。この件で前田を総合司会に起用したスタッフが左遷された。なお、テレビ朝日の重役が前田のファンだったという理由による起用だった。前田はこの総合司会に関して、橋田壽賀子から批判されたことがある。

日本テレビルックルックこんにちは』が2001年3月に終了したことに伴い、リポーターの井口成人が2001年4月から当番組へ移籍した。
2002年10月 - 2007年3月

2002年10月に大幅リニューアルを実施。テレビ朝日アナウンサーの渡辺宜嗣に『ザ・スクープ』の鳥越俊太郎という取材歴の長い2人に、当時テレビ朝日アナウンサーの徳永有美を加え、若林・川瀬・池谷の降板以来9年ぶりに総合司会3人体制を組む。渡辺は1991年4月1日から1993年4月2日までの2年間、『モーニングショー』の最後の総合司会(1993年4月に本番組に衣替えしたため)を務めてから9年半ぶりの同枠復帰。徳永は出演していた『やじうまワイド』が3ヶ月前に終了(降板)したばかり。さらに、「ニュースの職人」を自認する鳥越は、『ザ・スクープ』終了後の活動の場を求めており、ニュース路線を強める番組側との思惑が一致した形での出演となった。サブタイトルを「あれこれニュースショー」とし、「ニュースに貴賎なし」をスローガンに掲げて種々雑多なニュースを公平に扱うという路線を強めた。この時に番組略称を『スパモニ』とした。

これまでのワイドショー番組にはなかったような視聴者参加企画も実施した。2006年4月のリニューアルまで、オープニングは視聴者からのリクエストや番組側がその日に放送する内容に合った曲(洋楽・邦楽問わず)を「きょうの名曲」と題して放送していた(深刻なニュース・災害事件が起こった日などは休止し、番組独自の音楽に差し替えられた。このOP放送中の12月24日になると、大抵山下達郎の『クリスマス・イブ』を流していた)。また、これまでの曜日別コーナーを廃止、放送終了後にインターネット投票で視聴者からの評価を訊くサバイバル企画「スパモニ企画」を放送した。リニューアル初期には番組中に留守電やFAX、メールで寄せられた意見や感想、質問や苦情・非難などを番組のラストに紹介した。

2003年4月、徳永がウッチャンナンチャン内村光良と不倫(2人は2005年に結婚)をしていたことが発覚し、当時のテレビ朝日社長であった広瀬道貞も、4月22日に行われた定例社長会見で徳永に対する処分を示唆する発言を行った[2]。徳永はワイドショー担当者として相応しくないとして4月25日放送分で降板となり、徳永の降板会見は飛び乗り局を配慮して8:50頃に放送された[注 3]

当時のテレビ朝日アナウンス室には適任者がいなかったため、女性総合司会が2003年4月28日から2ヶ月間空席となる。テレビ朝日は、渡辺のパートナーを準キー局の朝日放送(現:朝日放送テレビ)に求め、2003年6月末から当時同局アナウンサーの赤江珠緒が女性総合司会に就任する。当初契約を大幅に延長し、2006年4月のリニューアルまで司会を務めた。しかしながら、赤江降板時の視聴率はおよそ5%で、同時間帯横並び最下位であった。

2006年4月3日、テレビ朝日の再編に伴って放送開始が30分繰り上がり、7:30開始となる。同時に「あれこれニュースショー」というサブタイトルを廃し、渡辺のパートナーが赤江からテレビ朝日アナウンサーの野村真季に交代した。同時に、「きょうの名曲」はエンディングでの放送となった。この再編で『やじうまプラス』(当時は4:25から放送)と連携を組み、『やじうまプラス』の出演者が本番組にも登場する「5時間半ぶち抜きニュースショー」とPR(テレビ朝日のみ)。同時に、祝日を除き全国で最後まで、長年に亘って9:30[注 4] までの放送だった朝日放送が番組終了の9:55までの放送に踏み切った。これにより、9:30の飛び降り点がなくなった。

2006年10月にリニューアルした際に、7:30のオープニングで全国の天気(テレビ朝日系列局の所在地と釧路の25都市)と関東周辺の天気を流す様になる(天気予報を取り上げるのはしばらくなかった)。
2007年4月 - 2010年3月

当初は総合司会交代を機に本番組を終了させる予定だったが、大幅なテコ入れをすることで番組名はそのままとした。放送開始時間は8:00に戻り(これに伴い『やじうまプラス』は8:00までの放送になる)、タイトルロゴも一新された。総合司会は2006年3月まで総合司会を務めていた赤江珠緒と『ワイド!スクランブル』の「特報サイト」を担当していたテレビ朝日アナウンサーの小木逸平のコンビ。赤江は2007年3月いっぱいで朝日放送を退社し、フリーアナウンサーとして復帰した。また、番組宣伝は、赤江を前面に出したものとなっている。また、携帯電話を利用したテレビ電話での中継を常態化。「スパモニ機動中継隊」としてリポーターやディレクターが現地報告することになったほか、内容もそれまでの政治関係を扱う割合が少なくなり、リニューアル以前手薄になっていた芸能関係の扱う割合を増やした。

2007年4月のリニューアルで山陰放送宮崎放送(いずれもTBS系列:当時は両局とも8:30に飛び乗りネット開始:2009年3月27日まで)を除く全ての局が8:00スタートになり、朝日放送は初めてフルネットとなった。

2007年10月1日からは、スタジオセットとタイトルロゴの色が変わる(青→茶)。それ以前はコメンテーターの人数が多すぎ、満足なコメントの時間がとれないことで不評だったため、コメンテーターの数を5人から3・4人へと減らす(北野誠は自身のラジオで「降ろされた」と発言)。

2009年3月27日には、山陰放送と宮崎放送で本番組のネットが打ち切られた。
2010年4月 - 番組終了

2010年3月29日から、オープニング[注 5] 並びにテーマ曲を変更。同時に地上アナログ放送でもモノステレオ放送を開始した。

2009年頃からは硬派路線に舵を切ったり、2010年5月31日には再度オープニングを新コーナーである「教えてニュース!なんでそうなるの?」に変更するなどのリニューアルを繰り返すものの失敗が続き、10月4日からはコメンテーターの曜日移動や新コーナーの開始などのリニューアルが行われたが、これらを実施しても効果はなく、視聴率が3%台を記録する回もあり、且つ同時間帯の番組ではテレビ東京を除く最下位になっていた(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。これに加え、2009年以降における本番組の放送内容も問題視されるようになり、2010年7月と9月のテレビ朝日の番組審議会でも取り上げられた[3][4]

これらの影響で、2010年年末最後の放送は延長放送を実施せず全局定時終了となったほか、2011年の年始特番は放送せずに全局1月4日開始となった(後述)[注 6]。さらに2011年1月には本番組をネットしている日本テレビ系列局の内、北日本放送四国放送が同年3月31日限りでテレビ朝日の平日午前のワイドショーのネット自体を打ち切ることを決定する[5] など、1980年代後半以降の『モーニングショー』同様、番組存続の危機に立たされることになった。

上記の事柄が重なったため、ネット局29局中、北日本放送と四国放送は予定通り2011年3月31日を以って本番組のネットを終了し、残る27局(テレビ朝日系列局と山梨放送福井放送高知放送)も翌4月1日に放送を終了し、18年の歴史に幕を下ろした。2011年3月28日から3月31日までは各曜日のレギュラー陣が終了の挨拶を行ったほか、最終回では、9時44分頃から約10分間に亘るエンディング部分において、金曜日のレギュラー陣、鳥越(この日は特別ゲスト扱い)、小木、そして赤江の順に最終回の挨拶を行い、番組を締めた。

翌週4月4日より、羽鳥慎一と赤江を総合司会とした後継番組『情報満載ライブショー モーニングバード!』が開始されたが、最終回では『モーニングバード!』並びに羽鳥についての紹介は行われなかった。

最終回の視聴率はテレビ東京を除く同時間帯最下位の4.3%であった[6]
出演者
総合司会

「スーパーモーニング」歴代総合司会期間男性女性
1993.4.51993.10.1
若林正人
池谷幸雄川瀬眞由美
1993.10.41994.9.30松苗慎一郎伊藤聡子
1994.10.31997.3.28川野太郎
1997.3.311999.9.24大沼啓延
1999.9.272000.3.31亀和田武
2000.4.32000.9.29下平さやか
2000.10.22002.3.29蟹瀬誠一
2002.4.12002.9.27前田吟高橋真紀子
2002.9.302003.4.25渡辺宜嗣徳永有美
2003.4.282003.6.27(不在)
2003.6.302006.3.31赤江珠緒
2006.4.32007.3.30野村真季
2007.4.22011.4.1小木逸平赤江珠緒


太字はテレビ朝日アナウンサー


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