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スーパーファミコン
メーカー任天堂
種別据置型ゲーム機
世代第4世代
発売日 1990年11月21日
1991年8月23日
1992年4月11日
1992年6月8日
1992年7月3日
1992年11月25日
1993年8月30日
1993年
1993年
1994年11月
CPU16-bit 65C816 Ricoh 5A22 3.58MHz
対応メディアロムカセット
SFメモリカセット
スーファミターボ用カセット
対応ストレージバッテリーバックアップ
フラッシュメモリ
(サテラビューのみ)
コントローラ入力ケーブル
外部接続28ピン拡張コネクタ
オンラインサービスサテラビュー
(日本のみ)
XBAND
(北米・日本)
売上台数 1,717万台[1]
2,335万台[1]
4,910万台[1]
最高売上ソフト スーパーマリオカート /381万本
スーパーマリオワールド /2,061万本
互換ハードウェアSF1
後方互換ゲームボーイ
(スーパーゲームボーイ使用時)
前世代ハードウェアファミリーコンピュータ
次世代ハードウェアNINTENDO64
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スーパーファミコン(SUPER Famicom)は、任天堂より日本・中華民国(台湾)・香港などで発売された家庭用ゲーム機。略記・略称はSFC、スーファミなど[注 1]。日本発売は1990年(平成2年)11月21日、生産終了は2003年(平成15年)9月30日。
ファミリーコンピュータの後継機として開発された。同世代機の中では後発であったが、ファミリーコンピュータに引き続き、最多出荷台数を記録した。
北米・欧州・オーストラリア・ブラジルなどでは“Super Nintendo Entertainment System”(スーパーニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:Super NES、またはSNES)、大韓民国ではヒョンデ・スーパーコンボイ(韓: ?? ?? ???)の名称で発売された。
沿革「コンピュータゲームの歴史」も参照
1987年9月9日 - 京都新聞にて、山内溥社長(当時)が初めてスーパーファミコンに言及。
1988年11月21日 - 任天堂本社にて、試作機を披露し1989年7月発売を発表[2]。同年に本体と同時発売のソフト『マリオブラザーズ4』、『ドラゴンクエストV』発売と発表[3]。
1989年7月28日 - 任天堂本社にて、仕様が確定しファミリーコンピュータとの互換性のための「ファミコンアダプタ」は作らないと発表。サードパーティは21社、発売延期の理由はNintendo Entertainment Systemとゲームボーイの増産によって半導体が不足しているうえ、依然としてファミリーコンピュータ市場が活況を呈しているため[4]。
1990年
6月21日 - 同年11月21日発売を発表。同時発売ソフトは3本、サードパーティは33社[5]。
11月21日 - 日本国内発売開始。本体価格25,000円。セット内容は本体とコントローラ2個、取扱説明書のみで、テレビとの接続ケーブルやACアダプタ(ファミリーコンピュータ専用品が使用可能)は含まれていない[注 2]。
12月 - シャープよりスーパーファミコン内蔵テレビ「SF1」発売[6]。画面サイズは14型、21型の2種類。
同月 - 出荷台数、約65万台[7]。
1991年
3月 - 出荷台数約149万台[8]。
12月末 - 出荷台数約380万台[9]。
1992年
1月9日 - 大容量化の周辺機器『スーパーファミコンCD-ROMアダプタ』をフィリップスのライセンスを得て、1993年1月発売を発表[10]するが取りやめに
3月 - スーパーファミコンの音源性能をプレゼンテーションする目的で制作された音楽作品「任天堂スーパーファミコン・ゲームミュージック」発売。冒頭8曲は音楽制作機材を用いたリアレンジ版で、リアレンジは元ゴダイゴの浅野孝已が担当。
1993年
3月18日 - 経営悪化していた衛星デジタル音楽放送に7億8200万円を出資するとともに、スーパーファミコンと衛星放送を結びつけるサービスを1994年4月から開始と発表[11]。
12月 - 出荷台数、国内1136万台、米国1416万台[12]。
1994年
3月14日 - スーパーファミコンを使用しテレビでゲームボーイソフトが遊べるアダプタ『スーパーゲームボーイ』を同年6月中旬発売と発表[12]。
6月14日 - 『スーパーゲームボーイ』発売。
6月23日 - 衛星放送を利用したデジタル放送を1995年2月から開始と発表[13]。
94年後期 - 95年初期 - 型番が「SHVC-○○」から「SHVC-○○○J-JPN」に変更。
12月21日 - 世界初のデジタルデータ放送「スーパーファミコン放送」を1995年4月1日から開始と発表[14]。
1995年
2月23日 - 「スーパーファミコン放送」開始日を同年4月23日に延期することを発表[15]。
4月1日 - BS音声放送局セント・ギガと共同で、専用アダプタ「サテラビュー」を接続したスーパーファミコンを受信端末とした、衛星データ放送の試験放送を開始。
4月23日 - スーパーファミコン向け衛星データ放送の本放送を開始。
12月14日 - 1996年2月1日より任天堂は自社ソフトの価格上限を引き下げると共に、ソフト評価機関スーパーマリオクラブで一定の評価を得たサードパーティ製ソフトのロイヤリティを引き下げると発表。ソフト価格を最大9,800円に設定した次世代機NINTENDO64の発売を見据えた措置[16]。
1996年
4月中旬 - 電話回線による通信対戦可能な機器『XBAND』がカタパルト・エンタテインメントから発売[17]。
8月14日 - 本体の希望小売価格を9,800円に引き下げ。本体値引きクーポン券の期限切れによる代替措置。当時の実売価格は1万円台前半で推移していたが、日本国内において希望小売価格値下げが行われたのは初めて[18][6]。
11月14日 - フラッシュメモリを利用してゲームソフトを書き換えるシステムをローソンで展開することで合意。1997年4月から試験運用、夏から本格稼働すると発表[19][20]。
1997年
9月26日 - 東京都内のローソンにてゲーム書き換えサービス「ニンテンドウパワー」の試験運用を同年9月30日から、同年11月1日からサービス開始することを発表[21][22]。
9月30日 - 「ニンテンドウパワー」の試験運用開始。順次日本全国に拡大。
1998年
1月30日 - ポケットモンスターの人気を受け、スーパーゲームボーイに通信コネクタを追加した上位機種『スーパーゲームボーイ2』発売。
3月27日 - 本体価格を2千円値下げした廉価機『スーパーファミコンジュニア』発売。価格7,800円[23]。
1999年3月31日 - 任天堂が衛星データ放送事業から撤退。4月以降、サテラビュー向け放送サービスはセント・ギガ単独提供で継続。
2000年6月30日 - セント・ギガがサテラビュー向け衛星データ放送終了。
2002年8月31日 - ニンテンドウパワー、ローソン店頭でのサービスを終了。以降は任天堂本社、各営業所へ引き継がれる。
2003年9月30日 - 部材調達の困難等を理由に本体の生産終了。
2004年 - 最終的な出荷台数は日本で1,717万台、アメリカで2,335万台、その他の国で858万台、全世界累計出荷台数4,910万台[1]。
2007年
2月28日 - ニンテンドウパワーサービス終了。
10月31日 - スーパーファミコンの公式修理サポート受付終了。
11月 - 「クラブニンテンドー」の2007年度(平成19年度)プラチナ会員特典の内容が発表され、その一つとして「Wii スーパーファミコン クラシックコントローラ」が賞品として登場、翌年4月に希望した会員に発送された。このコントローラは、その名の通り、Wiiのクラシックコントローラとして本機のコントローラをほぼ完全に復刻させたもので、パッケージもスーパーファミコンの箱の絵柄に似せてある。
2012年6月 - スーパーファミコンJr.の公式修理サポート受付終了[24]。