スーズ・ロトロ
[Wikipedia|▼Menu]

スーズ・ロトロ
Suze Rotolo

生誕スーザン・エリザベス・ロトロ
(1943-11-20) 1943年11月20日
アメリカニューヨーク市
死没2011年2月24日(2011-02-24)(67歳)
アメリカ・ニューヨーク市
別名スージー・ロトロ
民族イタリア系
配偶者エンゾ・バートッチオーリ
子供ルカ
親父: ジオアーチノ・ピエトロ・ロトロ
母: マリア・テレサ・ペザッティ・ロトロ
親戚姉: カーラ・マリア・ロトロ
叔父: ピエトロ・ペザッティ
公式サイト ⇒http://www.suzerotolo.com
テンプレートを表示

スーズ・ロトロ(: Suze Rotolo、1943年11月20日 - 2011年2月24日)は、アメリカニューヨーク市出身のアーティスト。出生名スーザン・エリザベス・ロトロ(Susan Elizabeth Rotolo)[1]1960年代前半頃にボブ・ディランの恋人だった女性で、ディランと腕を組んで歩いている姿がアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年)のジャケット写真にもなった。 Suze の表記はスーズともスージーとも読み[2]、 Suzie スージーとも表記していた[3]

近年はブック・アートに取り組んで作品を発表していた。またディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)にインタビュー出演し、2008年、当時を回想した著書を出版した(日本語訳は2010年)。
来歴

1943年11月20日[1]ニューヨーク市ブルックリン区のジューイッシュ・ホスピタルに生まれ、クイーンズ区のサニーサイドで育つ[4]。2歳離れた姉にカーラ・マリア・ロトロがいる[5]。父親ジオアーチノ・ピエトロ・ロトロ(ジャック)[6]と母親マリア・テレサ・ペザッティ・ロトロ(メアリ)[7]はイタリア系の共産党員であり[8]マッカーシズムの中で[9]経済的にも精神的にも辛い幼少期を過ごす[10]。両親とは異なり叔父で似顔絵画家のピエトロ・ペザッティ(ピーター)はムッソリーニ支持のファシストであった[11]1958年2月、14歳の時に父親が他界する[12][13]

彼女自身は両親の影響を受け、早くから社会活動を行っていた。中学生のときには公民権運動として人種別カウンターを設けていたスーパーマーケットでピケを張ったし[13]、公民権運動団体の人種平等会議CORE(Congress of Racial Equality)の職員を務めたり[14][15][16]、20歳のときには政府によって渡航が禁止されていたキューバへの学生訪問団に加わってチェ・ゲバラと面談するなどしているが[17]ソ連の体制やスターリニズムには懐疑的であり続けた。

中高生の頃からグリニッジ・ヴィレッジ周辺で展開していたフォーク・ソング復興運動に親しみ[18]1961年7月、17歳のときにまだ無名で20歳だったボブ・ディランと知り合い恋人同士となる[19][20][21]。姉のカーラも一時期はアメリカ議会図書館の研究員だったアラン・ローマックスの助手を務めるなどしており[22][13][23]、フォーク・ソング復興運動に関わっていた。

1961年12月から、西四番ストリートにディランが借りていたアパートで一緒に暮らし始めるが[24][25][注 1]1962年6月、ディランを置いてイタリアペルージャに半年ほど留学[26][27]。帰国後の1963年1月より再びディランと一緒になり[28][29]、5月、アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』がリリースされる[30]。ほどなくしてディランは急速に名声を高めていくが、ディランと一緒にいることのプレッシャーやゴシップなどに耐え切れず、8月には別居[31][32]。やがて彼の子供の妊娠が判明するが中絶をする[33]1964年3月には、二人の関係は実質的に終わっていた[34]。その後ディランは関係を修復しようとし[35]、『追憶のハイウェイ61』(1965年)のレコーディング現場に同席するなど関係は断続的に続いたが[36]1966年のイタリア再留学を機会に完全に別れることになった。

1972年国際連合の映像編集者エンゾ・バートッチオーリ(Enzo Bartoccioli)と結婚しており、息子のルカ(Luca)はギタリストである[1]。近年はブック・アート(artist's book、装丁芸術)に取り組み、スーザン・ロトロの名義で作品を発表[37]。一時期ニューヨークのパーソンズ美術大学で講師も務めていた[1][37]

長らくディランについてまとまった発言をしてこなかったが、2004年以降はメディアに登場して1960年代前半のグリニッジ・ヴィレッジについて語るようになり、ディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)にインタビュー出演。2008年、当時のヴィレッジの風俗と、ディランらを含むフォークミュージシャンたちの群像を回想した著書を出版した。日本でも『グリニッチヴィレッジの青春』の題名で2010年に日本語訳が出版された[38]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef