スーザン・ヘイワード
Susan Hayward
1940年代初頭のヘイワード
本名Edythe Marrenner
生年月日 (1917-06-30) 1917年6月30日
没年月日 (1975-03-14) 1975年3月14日(57歳没)
出生地ブルックリン
国籍 アメリカ合衆国
配偶者ジェス・バーガー
受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1958年『私は死にたくない』
カンヌ国際映画祭
女優賞
1956年『明日泣く』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1958年『私は死にたくない』
ゴールデングローブ賞
女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1952年『わが心に歌えば』
主演女優賞(ドラマ部門)
1958年『私は死にたくない』
その他の賞
テンプレートを表示
スーザン・ヘイワード(Susan Hayward, 本名: Edythe Marrenner, 1917年6月30日 - 1975年3月14日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の女優である。『スマッシュ・アップ』(1947年)の一場面『私は死にたくない』(1958年)でアカデミー主演女優賞を受賞 祖父母はスウェーデンからの移民[1]。父はトラックの運転手。1917年(1918年または1919年説もある)にニューヨーク市ブルックリンに生まれる。1937年、商業高校を卒業後に女優を夢見てモデルを経て、ハリウッドに移る。この時期、『風と共に去りぬ』のオーディションも受け最終選考まで残っているが、役を得ることは出来なかった。しかし徐々に映画に出演しはじめ、1939年には『ボー・ジェスト』でゲイリー・クーパーの相手役にキャスティングされ、実質的なデビューを果たす。その後は、映画会社を渡り歩き、多くのB級映画に出演したが、いずれも男優の添え物扱いという不遇な時期を過ごす。だがその後は順調にキャリアを重ね、人気女優となった。赤毛の髪の毛がトレードマークで、美しさはハリウッド一と言われた。1952年にはハリウッドの外人記者協会が「世界で最も愛すべきスター」の女優部門に彼女を選んでいる。 1947年の『スマッシュ・アップ』で初めてアカデミー賞にノミネート。その後、『愚かなり我が心』、『我が心に歌えば』、『明日泣く』 でもノミネートされたが受賞にまでは至らなかった。 1955年の『明日泣く』でカンヌ国際映画祭 女優賞を受賞。1958年に『私は死にたくない』で実在した女囚を演じアカデミー主演女優賞を受賞した。受賞時のインタビューでは作品名にかけて「私はこのまま死んでしまいたい」と言って笑わせた。 私生活では1944年にジェス・バーガー 1971年に脳腫瘍の兆候が現れ入院する。
来歴
プライベート