スーザン・ソンタグ
Susan Sontag
スーザン・ソンタグ(1979年)
誕生スーザン・ローゼンブラット
Susan Rosenblatt
(1933-01-16) 1933年1月16日
アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク
死没2004年12月28日(2004-12-28)(71歳)
アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク
職業小説家・エッセイスト
国籍 アメリカ合衆国
主な受賞歴全米批評家協会賞批評部門(1978)
全米図書賞フィクション部門(2000)
エルサレム賞(2001)
アストゥリアス皇太子賞(2003)
ドイツ書籍協会平和賞(2003)
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スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日[1])は、アメリカ合衆国の作家(小説家、エッセイスト、批評家[1])、映画製作者[2]、社会運動家。
生涯を通じ、アメリカを代表するリベラル派の知識人として、ベトナム戦争やイラク戦争に反対するなど、人権問題についての活発な著述と発言でオピニオンリーダーとして注目を浴びた。 東欧ユダヤ系移民の父ジャック・ローゼンブラット(Jack Rosenblatt)と母ミルドレッド・ヤコブセン(Mildred Jacobsen)の間に、アメリカ国籍者としてニューヨーク市で誕生した。父親は中国で毛皮の貿易会社を経営していたが、スーザンが5歳の時に結核で死去した。その7年後、母は同じ東欧ユダヤ系のネイサン・ソンタグ(Nathan Sontag)と親密関係になった。正式には結婚はしなかったが、スーザンとその妹のジュディスはその義父のソンタグ姓を名乗るようになった。
生涯
大学院修了後、アメリカユダヤ人委員会の機関誌『コメンタリー(英語版)』の編集者となったのち、コロンビア大学などで哲学講師となる[1]。そのかたわら、1963年に小説『恩恵者 The Benefactor』で作家デビュー。1966年には、初の評論集『反解釈 Against Interpretation』を出版。同作における、写真家ピーター・ヒュージャー(英語版)が撮影した印象的なカバー写真は、ソンタグが「the Dark Lady of American Letters」としての名声を得るのを後押しした。
2004年12月28日、骨髄異形成症候群の合併症から急性骨髄性白血病を併発し、ニューヨークで死去。71歳没。彼女は30年間、進行性乳癌と子宮癌を患っていた[3]。遺体はパリ・モンパルナスの共同墓地に埋葬された。 シカゴ時代の17歳のとき、ソンタグは社会学者フィリップ・リーフ
親族
息子のデイヴィッド・リーフ(英語版)はアメリカの出版社Farrar, Straus and Giroux(FSG)でソンタグの担当編集者となったのち、作家、政策アナリストに転身した。
主な著書(邦訳)
小説
『死の装具』1967(斎藤数衛訳 早川書房 1970年)
『わたしエトセトラ』(行方昭夫訳 新潮社 1981年)
『火山に恋して』(冨山太佳夫訳 みすず書房 2001年)