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エカテリンブルク
Екатеринбург
Yekaterinburg
市旗市章
位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯56度51分32秒 東経60度36分24秒 / 北緯56.85889度 東経60.60667度 / 56.85889; 60.60667
歴史
建設1723年11月18日
行政
国 ロシア
連邦管区ウラル連邦管区
行政区画 スヴェルドロフスク州
市エカテリンブルク
地理
面積
市域490 km2
標高237 m
人口
人口(2020年現在)
市域1,493,749人
人口密度 3,192人/km2
その他
等時帯エカテリンブルク時間 (UTC+5)
郵便番号620XXX
市外局番+7 343
ナンバープレート66, 96
公式ウェブサイト : ⇒http://www.ekburg.ru/
エカテリンブルク(ロシア語: Екатеринбург、ラテン文字表記:Ekaterinburg、またはYekaterinburg)は、ロシア連邦の中央部に位置する大都市。スヴェルドロフスク州の州都。エカチェリンブルクと表記されることもある。1924年から1991年までは革命家のスヴェルドロフを記念してスヴェルドロフスク(Sverdlovsk, Свердловск)と呼ばれていたが、現在は旧名に戻された。なお、州の名称は現在もスヴェルドロフスク州となっている。
ウラル山脈中部の東側(アジア側)斜面に位置し、イセチ川が流れる。40キロメートル西には、ヨーロッパとアジアの境界線が走っている。
人口は約150万人で、ロシア国内ではノヴォシビルスクに次ぐ4番目に人口の多い都市であり、ウラルの首都と言われ発展著しい。ウラル地域の工業・文化・教育の中心地で、交通の要衝でもある。ウラル連邦管区の本部が置かれ、高等教育機関、博物館、劇場なども多数ある。
歴史エカテリンブルク(1910年)
11世紀頃からノヴゴロド共和国の商人が毛皮交易のためにこの地方を訪れていたが、ウラル地方をコサックが征服した16世紀末頃からこの周辺での鉱工業開発が始まった。1723年、ピョートル1世によってウラル地方のペルミへ派遣された政治家ヴァシーリイ・タチシチェフ(Vasily Tatischev)が豊かな鉱業資源を用いるべく工場町エカテリンブルクを建設した。町の名は、ピョートル1世の妻エカチェリーナ1世に因む。