スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
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スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ
Светлана Александровна Алексиевич
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
(2016年4月6日)
誕生 (1948-05-31) 1948年5月31日(75歳)
ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国スタニスラフ
職業作家ジャーナリスト
言語ロシア語
国籍 ベラルーシ
主題ノンフィクション
主な受賞歴全米批評家協会賞ノンフィクション部門(2005)
ドイツ書籍協会平和賞(2013)
メディシス賞エッセイ部門(2013)
ノーベル文学賞(2015)
デビュー作『戦争は女の顔をしていない
署名
公式サイト ⇒Voices from Big Utopia
ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2015年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して

スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ(ロシア語: Светла?на Алекса?ндровна Алексие?вич, ベラルーシ語: Святла?на Алякса?ндра?на Алекс?е?в?ч, 英語: Svetlana Alexandrovna Alexievich, Svyatlana Alyaksandrawna Alyeksiyevich、1948年5月31日 - )は、ベラルーシ作家ジャーナリスト。「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ」、「スベトラーナ・アレクシエービッチ」表記もある。2015年ノーベル文学賞受賞。
略歴・人物

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは1948年5月31日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のスタニスラフ(現在はイヴァーノ=フランキーウシク)で生まれる。ベラルーシ人の父とウクライナ人の母をもつ[1]。父親が第二次世界大戦後に軍隊を除隊すると、ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国に移住し、両親は教師となった。

ベラルーシ国立大学(ベラルーシ語版)でジャーナリズムを専攻して1972年に卒業し、ジャーナリストとなる。大学卒業時の労働割当制度によってブレスト州の『共産主義の灯台』紙で働いたのち、ミンスクの『農業新聞』や文芸誌『ニューマン』で活動した[2]

1985年出版の第1作『戦争は女の顔をしていない』では、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材。第2作『ボタン穴から見た戦争』(1985年)では、第二次世界大戦の独ソ戦当時に子供だった人々の体験談を集めた[3]。1988年にはソヴィエト連邦の介入下にあるアフガニスタンを取材し、『アフガン帰還兵の証言』でアフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めたが、一般のソ連国民に隠されていた事実が明らかにされ、ソ連軍や共産党の新聞はアレクシエーヴィッチを攻撃した。『チェルノブイリの祈り』(1997年)では、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げているが、ベラルーシでは未だに事故に対する言論統制が敷かれている[4]。2003年に訪日し、チェルノブイリを主題に講演を行なった。

ベラルーシのルカシェンコ政権やロシアのプーチン政権には批判的で、ルカシェンコの大統領就任後のベラルーシではアレクシエーヴィチの作品が出版されていない。アレクシエーヴィチは圧力や言論統制を避けるために2000年代は西欧を転々とし、2011年に帰国した[5]

東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が起きた際、アレクシエーヴィチは4月に「チェルノブイリから福島へ」と題したメッセージを日本に向けて送った[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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