スンジャータ・ケイタ
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マリで出土した赤土を素焼きした射手の像(13-15世紀)。えびらと弓はマリの王権の象徴であった[1]

スンジャタ・ケイタ(Sundiata Keita, 1217年ごろ - 1255年ごろ)は、マリ帝国の始祖とされる英雄[2]マンデ語マンディンカ語マリンケ語バンバラ語を含む)で [s?nd?ata ke?ta] と発音される。壮麗なメッカ巡礼で知られるマリの支配者マンサ・ムーサはスンジャタの弟の孫にあたり[3][4][注釈 1]モディボ・ケイタ[5]サリフ・ケイタなどに代表されるケイタ(英語版)の名を持つ人々はスンジャタの子孫を称している。

スンジャタ・ケイタはマンデ人(英語版)の口頭伝承である「スンジャタ叙事詩」に登場する半ば伝説的な人物であるが[2]、エジプトやマグレブの文筆家によるアラビア語文献[注釈 2]により実在が裏づけされている。「スンジャタ叙事詩」はスンジャタの生涯を物語る英雄譚であり、「グリオ」と呼ばれる吟遊詩人により世代を超えて伝えられている[6]
スンジャタの英雄譚現代のバラフォン(英語版)。「スンジャタ叙事詩」の語りにはバラフォンが欠かせない。スマングル・カンテの持ち物であった魔力を帯びたバラフォンは、スンジャタのグリオ、バッラ・ファセケ(英語版)に盗まれてしまい、マンディンカ人の国に受け継がれることになった[7][8]詳細は「スンジャタ叙事詩(英語版)」を参照

マンデ人のグリオが伝える「スンジャタ叙事詩」によると、スンジャタ・ケイタはナレ・マガン・コナテ(英語版)とソゴロン・コンデ(フランス語版)の息子である[9]

スンジャタは生まれつきの足萎えであったため、ソゴロンは息子の身体のことで他の嫁たちから嘲笑われていた。母のいじめられる姿を見たスンジャタは激しい思いを心に抱き、同い年の子どもと同じように歩くため、どんなことでもやろうと決心した。努力が実り、スンジャタは立ち上がり、歩き始めた。スンジャタはガキ大将になった。スンジャタとソゴロンをことのほかいじめていたのは、父方のいとこのダンカラン・トゥマン(英語版)とその母サッスマ・ベレテ(英語版)である。いじめは、ナレ・マガン王が亡くなるとさらにひどくなった。スンジャタの命に危険が迫る。ソゴロンは、迫害から逃れるため、スンジャタとその妹たちを連れて、放浪の旅に出た。安全を求めてガーナの諸国をさすらう旅は何年にも及び、ついにメマ(英語版)の王の庇護を得た。 メマの王はスンジャタの勇気と不屈さを高く評価して、彼に王国の相談役の地位を与えた。あるとき、ソソ(英語版)の王スマングルがマンデ人を征服した。マンデの民は巫術を行うと、ソゴロンとその子どもたちが、みなを率いるよう運命付けられていることがわかった。そこで方々へ使者を送り、ソゴロンを探した。使者らはメマでソゴロンとスンジャタを見出し、諸部族の解放のために故郷のマンデ人の地に戻ってほしいとスンジャタを説得した。スンジャタの帰還にあたり、メマの王は彼に兵を伴わせた。当時のマリには、タボン・ワナ、カマジャ・カマラ、ファオニ・コンデ、シアラ・クマン・コナテ、ティラマカン・トラオレ(英語版)といった群雄が割拠していた。彼らは、強敵であるソソの王からマンデの地とその民を解放するため、シビの原(フランス語版)でスンジャタと義兄弟の契りを結んだ。スンジャタと義兄弟たちの兵は、キリナ(英語版)でスマングルをやぶり、スンジャタはマンサ[注釈 3]になった。[10][11][12][13][14][15]

「スンジャタ叙事詩」は各事件が起きた年がいつであるのかを詳らかにしていないが、イブン・バットゥータ (1304?1368) やイブン・ハルドゥーン (1332?1406)、イブン・ファドルッラー・ウマリー(ペルシア語版)、マフムード・カアティ(アラビア語版)といった14世紀-15世紀の文筆家によるアラビア語文献がマリ帝国のマンサの系譜や各事件のおおよその年代を伝えており、13世紀中頃に実際に起きた歴史的事件に基づいたものであると言える[16]。スンジャタの生没年は不詳だが、叙事詩とアラビア語文献に基づいて推定は可能であり、例えば、Snodgrass (2009) は 1217年生1255年没とした[17]
名前と名字

スンジャタは、口承伝統や文字史料において、「ソゴロン・ジャタ」「スンジャタ・ケイタ」「マリ・ジャタ(マーリー・ジャータ)」など[18]、複数の呼び名、異名があるが、「ソゴロン」は母親の名前に由来し、「ジャタ」はマンデ語でライオンを意味する「ジャラ」に由来する言葉である。


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