スレム
[Wikipedia|▼Menu]
スレム地域の地図地域の紋章

スレム(セルビア語:Срем / Srem)、スリイェム(クロアチア語:Srijem)、セレームあるいはセレームシェーグ(ハンガリー語:Szerem, Szeremseg)、シルミア(ラテン語:Syrmia)、シルミエン(ドイツ語:Syrmien)は、ヨーロッパ中部のパンノニア平原の一角を占める肥沃な平地であり、ドナウ川サヴァ川に挟まれた地域を指す。1991年以降、この地域の東部はセルビア、西部はクロアチアの領土となっている。

セルビア領の部分のほとんどがヴォイヴォディナ自治州スレム郡南バチュカ郡の領域であり、一部がベオグラード市ゼムンスルチンおよびノヴィ・ベオグラード(Novi Beograd)の各自治体の領域となっている。クロアチア領の部分はヴコヴァル=スリイェム郡に含まれ、同国領土の東端を成している。
呼称

セルビア語標準形ではスレム(Срем / Srem)、クロアチア語標準形ではスリイェム(Srijem)と称される[r 1]

他の言語でこの地方を表す呼称には、次のようなものがある。

ラテン語: シルミア(Syrmia)、シルミウム(Sirmium)

ドイツ語: シルミエン(Syrmien)

ハンガリー語: セレームシェーグ(Szeremseg、セレーム(Szerem)

スロバキア語: スリエム(Sriem)

パンノニア・ルシン語: スルィム(Срим)

トルコ語: シレム(Sirem)

ウクライナ語: スレム(Срем、スリム(Ср?м)、スルィム(Срим)

フランス語: Syrmie

歴史スレム地方における古代の印欧語族の人々の分布

歴史上、スレム地方はローマ帝国フン族アヴァール、ゲピド属、東ローマ帝国フランク王国ブルガリア帝国、パンノニア・クロアチア、ハンガリー王国オスマン帝国ハプスブルク君主国オーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国のちにユーゴスラビア王国ユーゴスラビア社会主義連邦共和国と、多くの支配者を経験してきている。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の統治下では、ジラス委員会(Dilas Commission)によって1945年に東はセルビア人民共和国、西はクロアチア人民共和国の領土とされた。1992年の1月にクロアチアの独立が国際的に承認され、同年4月にはセルビア共和国モンテネグロ共和国によるユーゴスラビア連邦共和国が成立すると、クロアチアとセルビアの境界は国際的な国境となった。スレム地方の東側はセルビア領としてユーゴスラビア連邦共和国の領土の一部に組み込まれており、連邦は2003年にセルビア・モンテネグロへと再編された。2006年には連邦は解消され、それ以降は独立国となったセルビアの領土となっている。
古代

シルミアの呼称は古代都市シルミウムに由来しており、この町は今日のスレムスカ・ミトロヴィツァに相当する。シルミウムは紀元前3世紀に成立した当時はイリュリア人の町であり、紀元前1世紀にローマ帝国によって征服された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef