スレッシャー_(原子力潜水艦)
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艦歴
発注:1958年1月15日
起工:1958年5月28日
進水:1960年7月9日
就役:1961年8月3日
その後:1963年4月10日に喪失
除籍:1963年4月16日
性能諸元
排水量:水上:3,540 トン、
水中:3,770 トン
全長:279 ft (85 m)
全幅:32 ft (9.7 m)
喫水:26 ft (8.7 m)
最大速:20+ ノット (37 km/h)
潜行深度:
機関:ウェスティングハウス S5W Reactor
乗員:士官16名、兵員96名
兵装:21インチ魚雷発射管4基
モットー:Vis Tacita (Silent Strength)

座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度46分 西経65度03分 / 北緯41.767度 西経65.050度 / 41.767; -65.050スレッシャー (USS Thresher, SSN-593) は、アメリカ海軍スレッシャー/パーミット級原子力潜水艦。艦名はオナガザメ(英:Thresher Shark)に因み命名された。その名を持つ艦としてはタンバー級潜水艦3番艦(SS-200)以来2隻目。本艦は同級の1番艦であったが、1963年4月に事故で失われた。

本艦の深海潜航試験時における事故は、厳密な潜水艦安全運用プログラムである SUBSAFE が実施されるようになった分岐点と見なされる。
艦歴

スレッシャーは1958年1月15日にポーツマス海軍造船所に建造発注される。1958年5月28日に起工し、1960年7月9日にフレデリック・バーデット・ウォーダー夫人によって命名、進水、1961年8月3日にディーン・L・アクジーン艦長の指揮下就役した。

就役後は1961年から翌62年にかけて西大西洋およびカリブ海で長期公試を行う。これらのテストでは搭載された多くの複雑な新技術および兵器の評価が行われた。公試に続いてスレッシャーは1961年9月18日から24日までアメリカ北東海岸沖で原子力潜水艦演習 (NUSUBEX) 3-61 に参加した。

10月18日にスレッシャーは東海岸に沿って南方へ向かう。プエルトリコサンフアンに寄港中の11月2日に艦の原子炉が停止し、艦内の電源はディーゼル発電機で供給された。しかしながら発電機は数時間後に故障し、バッテリーから電源が供給されることとなる。発電機は短時間での修理が見込めなかったため、艦長は原子炉の再起動を命じた。原子炉が臨界に達する前にバッテリーの電源が切れ、換気が行われなくなったため艦内機関室の温度は60度(華氏140度)に達した。翌日カヴァラ (USS Cavalla, SS-244) が到着し、ディーゼルエンジンから電気を供給したため、スレッシャーは原子炉を再起動することができた。

その後は公試および水雷試験を行い、11月29日にポーツマスに帰港する。同港に年末までとどまり、翌1962年は2月までソナーおよびサブロックの発射試験を行う。3月には原子力潜水艦の戦術能力向上を目的とした演習、NUSUBEX 2-62 に参加、アルファ任務部隊との対潜水艦戦訓練にも参加した。

スレッシャーはサウスカロライナ州チャールストン沖で海軍対潜水艦戦会議の視察を受け、その後ニューイングランド水域に向かう。続いてフロリダ沖でサブロック発射試験を行った。しかしながらポートカナベラルでの停泊時にタグボートと衝突し、バラストタンクを破損する。コネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で修理を受けた後、スレッシャーは再びフロリダに向かい、キーウェスト沖で試験を継続した。その後母港に戻り、1963年の初春までドック入りした。
喪失艦長のジョン・W・ハーヴェイ海軍少佐(本写真は大尉時代に撮影されたもの)

1963年4月9日、ドックでの修理作業が完了すると、スレッシャーはジョン・ウェズレー・ハーヴェイ艦長の指揮下オーバーホール後の整調試験を開始した。ハーヴェイ艦長は米原子力潜水艦の黎明期より原子力潜水艦に乗り続けている乗艦経験が豊かな軍人であり(事故時で原子力潜水艦歴9年)、ノーチラスの北極点通過航海にも参加した経験も持つベテランだった。

事故当日、海中救助船スカイラーク(USS Skylark, ASR-20)を随伴したスレッシャーはマサチューセッツ州コッド岬東方350kmの海域に向かい、翌10日朝から深海潜行試験を開始した。スレッシャーが試験深度に近付いたところで、スカイラークはスレッシャーからの水中電話で雑音混じりの通信を受けた。


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