スルターン
Sultan
ムガル帝国皇子
全名ムハンマド・スルターン
出生1639年12月29日
マトゥラー近郊
死去1676年12月14日
デリー、サリームガル城
配偶者パードシャー・ビービー
スルターン(Sultan, 1639年12月29日 - 1676年12月14日)は、北インド、ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの長男。母はナワーブ・バーイー。第7代皇帝バハードゥル・シャー1世の兄でもある。しばしば全名のムハンマド・スルターン(Muhammad Sultan)の名で呼ばれる。 1639年12月29日、ムガル帝国の皇帝(まだ皇帝ではない)アウラングゼーブとその妃ナワーブ・バーイーとの間に生まれた[1]。 1656年4月、スルターンはゴールコンダ王国の君主アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの娘パードシャー・ビービー
生涯
1657年9月、祖父である皇帝シャー・ジャハーンが重病となり、父アウウラングゼーブを含む4人の皇子が争うことになると、スルターンは叔父のシャー・シュジャーに味方した[1]。
1659年6月には、スルターンはシャー・シュジャーの軍総司令官と首席顧問に任命され、彼の娘グルルフ・バーヌー・ベーグムと結婚した[1]。
1660年2月20日、スルターンはアウラングゼーブのもとへと戻ったが、5月8日にサリームガル城へと投獄された[1]。
1661年1月14日、アウラングゼーブの命により、スルターンはサリームガル城からグワーリヤル城へと移送された[1]。
1672年12月、スルターンはグワーリヤル城からサリームガル城へと再び移送され、1676年12月14日に幽閉中のまま死亡した[1]。
出典・脚注^ a b c d e f g ⇒Delhi 7