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この項目では、イスラムにおける君主の称号について説明しています。その他の用法については「スルタン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
オスマン帝国スルターンであるメフメト2世
スルターン(アラビア語: ????? sul??n, アラビア語発音: [s?l?t???n, sol?t???n], スルターン)は、イスラム世界における君主号(君主の称号)のひとつ。アラビア語で「力、権力、権威」「権力者、権威者」「王、絶対的君主」などを意味[1]する。
マレー語・トルコ語などの発音に準じてスルタンと書かれることも多く、「国王」、「皇帝」などとも訳される。古くは英語における発音の音訳によってサルタンとも書かれたが、近年では稀である。 スルターンの語は、クルアーンの中では「神に由来する権威」を意味する語として使われ、アッバース朝のカリフにおいて初めて君主の称号として採用された。11世紀にアッバース朝カリフの庇護者として勢力を伸ばしたセルジューク朝のトゥグリル・ベグはカリフからスルターンの称号を授与され、ちょうど西ヨーロッパにおける教皇に対する皇帝のように用いられる。セルジューク朝の衰退後はルーム・セルジューク朝やホラズム・シャー朝などのセルジューク朝から自立したイスラム王朝で君主の称号として採用され、スンナ派イスラム世界において一般的な称号として定着する。これ以降、アイユーブ朝、マムルーク朝などの諸王朝は、アッバース朝カリフの承認のもとでスルターンの君主号を称し、自らの権威付けに利用したが、しばしば比較される神聖ローマ帝国の皇帝がローマ教皇に戴冠されたように必ずカリフの任命を要したわけではない。 オスマン朝でスルターンの称号を最初に名乗ったのは2代オルハンで、シャー、ハンの称号と組み合わせて「スルタン・スレイマン・シャー・ハン」などと自称した。のちにオスマン朝が大帝国に発展するとパーディシャーの称号が一般的に用いられるようになるが、君主名の前にスルタンの語を添えて用いたり、「スルタンたちのスルタン」と称したりするようにもなり、また君主の后妃や娘の称号としてもスルタンの語が用いられた。19世紀に「スルタン=カリフ制」の主張が生まれると、オスマン帝国の君主は世俗権力であるスルタン権と宗教権威であるカリフ権を兼ね備えていると考えられるようになる。 現在はオマーン、ブルネイ、およびマレーシア各州の君主がスルターンの称号を使用している。
概要