スリップノット
Slipknot
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
アイオワ州デモイン
ジャンルヘヴィメタル[1]
ニュー・メタル[1][2]
オルタナティヴ・メタル[1][2]
ラップメタル[1]
オルタナティブ・ロック
ラップ・ロック
活動期間1995年 -
レーベルロードランナー・レコード
公式サイトSlipknot
スリップノット(Slipknot)は、アメリカ合衆国で結成された9人組ヘヴィメタルバンド。 バンド名直訳は「引き結び(輪が絞まる絞首刑や動物捕獲の結び方)」。あらゆるスタイルを融合させたヘヴィミュージックを得意とし、2000年代から世界各地で人気を博す。各メンバーが、それぞれ異なったユニークなマスクを被ってパフォーマンスをすることで有名。 1995年9月、アイオワ州デモインで、ショーン・クラハン(パーカッション)と、ポール・グレイ(ベース)により、「The Pale Ones」のバンド名で結成。他のメンバーは、地元の音楽活動を通して知り合った、アンダース・コルセフニ(ボーカル)やドニー・スティール(ギター)で構成されていた。その後、バンド側は音の幅を広げたいと考え、ジョーイ・ジョーディソン(ドラム)とジョシュ・ブレイナード(ギター)が加入。こうしてメンバーは6人となり、結成年の12月4日に初めての有料ライブを開催した。1995年末には「Slipknot」を作曲し、ジョーイの提案でこの曲名がバンド名となる。 1996年2月、ドニーが脱退。ギターの代役として、クレイグ・ジョーンズが加入。しかしアルバム制作の過程で、バンドはサンプリングの専門役の必要性に気づき、クレイグがサンプラーとなり、ギタリストとしてミック・トムソンが加入する。 1996年10月31日、自主制作アルバム「Mate. Feed. Kill. Repeat.」を発表。 1997年9月、アンダースが脱退。パーカッションの代役として、グレッグ・ウェルツが加入。 1998年初頭、バンドは大手レーベルにデモ音源を送り、大手レーベルから大きな関心を引き寄せることに成功。新たなアルバムの制作を前にプロデューサーとしてロス・ロビンソンが招かれ、地元デモインでリハーサルが始まる。この直後に、バンドがその演奏技術に感動したことで、ディスクジョッキーとしてシド・ウィルソンが9人目のメンバーとしてバンドに参加する。 1999年9月、バンドはパーカッションの代役としてクリス・フェーンを迎え、デビューアルバムのレコーディングのためにカリフォルニア州マリブに移動する。 1999年、1stアルバム「Slipknot」を発表。この系統のジャンルでは記録的なセールスを樹立、デビューと同時に本国アメリカのみならず、日本においても爆発的な人気を獲得し、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーン、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソンらに並ぶビッグネームにのし上がった。 2000年、2月初来日公演を行う。 2001年、2ndアルバム「Iowa」を発表。2002年にかけて「Iowa World Tour」と題された、バンド初のワールド・ツアーを果たす。この辺りからメンバー間の軋轢が表面化し、解散の噂も立ち起こった。 2004年、3rdアルバム「Vol. 3: (The Subliminal Verses)」を発表。2005年にかけて「The Subliminal Verses World Tour」と題されたワールドツアーを果たす。この時には以前見られた不和は解消されている。 2006年、第48回グラミー賞にて、シングル「Before I Forget」が「Best Metal Performance」賞を受賞。その後一時的に活動を停止、各々サイドプロジェクトなどに勤しんだ。 2008年、4thアルバム「All Hope Is Gone」を発表。 2010年5月24日、ポール・グレイが急逝。急遽会見が開かれた。ちなみに会見は、全メンバーがマスクを外した姿で行われた。 2011年、スペインの「Sonisphere Festival」に出演。ポールの代役として、元ギタリストのドニー・スティールが一時的に加入した。 2012年8月、自ら主催の「ノットフェス」を開催。 2013年12月12日、ジョーイが脱退。 2014年、後に正規メンバーとなるアレッサンドロ・ベンチュレラとジェイ・ワインバーグ 2015年6月、コリィによると、10月にワールドツアーを終了させた後、メンバーのそれぞれのプロジェクトに専念させるために再び一時的な活動休止に入ることを計画していると発表[3]。 2016年9月、「オズフェスト」と自ら主催の「ノットフェス」が合体した「OZZFEST Meets KNOTFEST」を開催[4]。 2019年3月14日、報酬の一部未払いを巡り、クリスがバンドを提訴。4日後の18日にバンド側がクリスの解雇を発表。クリス解雇以降のライブやプロモーションビデオには、マイケル・パフが匿名でクリスのポジションに就いた。 2019年8月、6thアルバム「We Are Not Your Kind」を発表。 2021年11月、アルバムに先駆けたシングル「The Chapeltown Rag」が発表。2022年7月、7thアルバムの名前が「The End, So Far」であると公表。同時にジャケット、リリースの日程、トラックリスト、新たなシングル「The Dying Song (Time to Sing)」も発表され、ミュージックビデオも公開された[5][6]。
概要
略歴
デビュー前
このアルバムの楽曲は一部のラジオ局などで放送されたものの、大手レーベルの関心を取り付けるには至らず、バンドは新たな作品の制作に取り掛かる。この頃にバンドは、よりメロディアスな歌唱力をもつボーカルの必要性を痛感し、結果としてデモインで活動していたバンド「ストーン・サワー」のコリィ・テイラーが新たにボーカリストとして加入し、アンダースはパーカッションに移る。
その後、ロードランナー・レコードより50万ドルでのデビューアルバムの制作を提案され、バンドは6月8日に契約。この2日後にグレッグが脱退。
しかし、レコーディングの大半が完了した時期に、ジョシュが脱退し、バンドは一度デモインに戻る。レコーディングを遂行する為のギターリストとして、急遽ストーンサワーからジム・ルートがバンドに参加する。
デビュー後
同年10月に同メンバーらを擁した5thアルバム「.5: The Gray Chapter」を発表。一部楽曲はドニーがベースを担当している。