スラヴ人よ
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スロベニア語: Hej Slovani
クロアチア語: Hej Slaveni
セルビア語: Хе?, Словени
マケドニア語: Е?, Словени
和訳例:スラヴ人よ

国歌の対象
ユーゴスラビア
ユーゴスラビア連邦共和国
セルビア・モンテネグロ
作詞サモ・トマーシク(英語版)(1834年
作曲不明
採用時期1977年(法律上)
1988年(憲法上)
採用終了1991年(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国解体)
2006年(セルビア・モンテネグロ解体)

試聴
アメリカ海軍軍楽隊による演奏 noicon
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『スラヴ人よ』は、スラヴ人への賛歌であり、1834年汎スラヴ運動の歌として『スロバキア人よ』(Hej, Slovaci) の題の下、作詞された。その後ソコル運動やユーゴスラビア国歌セルビア・モンテネグロの国歌となった。また、スロバキア人の第2の非公式な歌でもある。楽曲はポーランドの国歌でもあるドンブロフスキのマズルカに基づくが、よりテンポが遅く、強くされている。

各言語での題名は以下の通り:

ウクライナ語: Гей, Слов'яни

クロアチア語: Hej, Slaveni

スロバキア語: Hej, Slovaci

スロベニア語: Hej, Slovani

セルビア語: Хе? Словени / Hej, Sloveni

チェコ語: Hej, Slovane

ブルガリア語: Хей, Славяни

ベラルーシ語: Гэй, Славяне

ポーランド語: Hej S?owianie

ボスニア語: Hej, Slaveni

マケドニア語: Е?, Словени

ロシア語: Гей, Славяне

『スロバキア人よ』

歌詞はスロバキアの聖職者であり、且つ詩人及び歴史家でもある Samuel Toma?ik が1834年にプラハを訪れた際に書かれた。プラハの通りでチェコ語よりドイツ語の方が多く聞こえて来た事に反感を持ち、日記にこう記している:

…もし西スラブ世界の真珠、母なるプラハが、ドイツ語の海の中に消えてしまうとしたら、プラハを精神的な栄養とするわが親愛なる母国スロバキアの行く手に何が待っているだろう。このような考えに縛られながら、私は古いポーランドの歌(注:ドンブロフスキのマズルカ)、『Jeszcze Polska nie zgin??a, kiedy my ?yjemy(われらが生きる限り、ポーランドはまだ消えない)』を思い出していた。この慣れ親しんだメロディーは、私の心に『Hej, Slovaci, e?te na?a slovenska re? ?ije(おい、スロバキア人よ、われらのスロバキア語はまだ生きている)』という挑戦的な内容の詩を噴き出させた。…私は部屋に駆け込み、キャンドルをともし、日記帳に鉛筆で三つの節を書き込んだ。こうして歌は一瞬で出来上がった。(1834年11月2日日曜日の Samuel Toma?ik の日記より)

汎スラヴの賛歌

彼は直ぐに全スラヴを含む歌詞に書換え、その後、主にオーストリアに支配されているスラヴの地で、『スラヴ人よ』はスラヴ人のナショナリズム(国家主義)や汎スラヴの感情に対する広く知られた団結の歌となった。そして、多くの雑誌やカレンダーに印刷され、政治的な集会でも歌われ、汎スラヴ運動の非公式な賛歌となった。

ソコル運動の公式な賛歌となった時、汎スラヴの理想に基づき、オーストリア・ハンガリーの全域に亘って支持は増加。1905年リュブリャナにてスロベニアの詩人である France Pre?eren の記念碑建設の際には群衆が『スラヴ人よ』を歌い祝った。第一次世界大戦では、同じ民族感情を伝えて流血を防ぐ為、最前線の両側からスラヴ人の兵士が歌い、オーストリア=ハンガリー軍に徴兵された多くのスロベニア、クロアチア、セルビアのソコル会員は、セルビア軍やロシア軍に対し自ら降伏し、しばしば寝返ってさえいた。


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