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Thrash Metal
様式的起源NWOBHM
スピードメタル
ハードコア・パンク
文化的起源1980年代初期アメリカ
使用楽器ボーカル
ギター
ベース
ドラム
派生ジャンルメタルコア
グルーヴ・メタル
デスメタル
ブラックメタル
融合ジャンル
クロスオーバー・スラッシュ
地域的なスタイル
ベイエリア・スラッシュメタル
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スラッシュメタル (Thrash Metal) は、音楽のジャンルの一つ。従来のヘヴィメタルにハードコアの過激さを加えた音楽形態を指す。Thrash とは「鞭打つ」という意味である。スピードメタルとの定義の違いは曖昧である。 NWOBHMとハードコア・パンクの私生児ともいえる音楽性で、凶暴で粗野な印象が強調されがちだが、スピード感を重視した楽曲が多い。特に1980年代初頭には、メタリカの「Fight Fire With Fire」(『Ride the Lightning』収録曲)や、スレイヤーの「Chemical Warfare」(EP「Haunting the Chapel」収録曲)が、世界最速の楽曲として話題に上ることもしばしばあった。 それまでのHR/HMといえば、バンドの花形はリードギタリストであり、ソロの速弾きこそ最大の見せ場であった。対して、スラッシュメタルは速弾きこそあれど、楽曲の中心はリフであり、高速なもの、複雑なもの等、様々なギターリフを開発していった。ただし、速さのみを追求していたわけではなく、スピード感を際立たせるため、1曲の中、あるいはアルバムを通して緩急をつけるなどの工夫もされていた。中にはメタリカのようにアコースティック・ギターを入れたり、バラード調の楽曲を入れるバンドもある。 ヴォーカルに関しては、音程をあまり重視しない、叫び声やハードコア風のがなり声のようなスタイルが多い。一方で、ハイトーンで伸びやかにメロディを歌うヴォーカリストもいる。曲と同様に歌詞の進行もめまぐるしく、母語話者でも聴き取れないほど速いことさえある。特に、スレイヤーのヴォーカルの速さは、ラッパーたちにカルチャーショックを与えたといわれている。 ドラムも例に漏れず、いわゆる「スラッシュビート」(BPM200以上でバスドラムを16分で打ったり、バスドラムとスネアを高速の8分で交互に叩いたり等)が特徴。スレイヤーのデイブ・ロンバードやアンスラックス、SODのチャーリー・ベナンテ、ダーク・エンジェルやテスタメント、デスのジーン・ホグラン等の名手がいる。 スラッシュメタルは、NWOBHMをより攻撃的に発展させたものだといわれている。また、ヘヴィメタルに止まらず、ディスチャージなどのハードコア・パンク・バンド、キリング・ジョークなどのポスト・パンク・バンドの影響も大きかったといわれている。 スラッシュメタルの誕生に関しては諸説あるが、メタリカが「Hit The Lights」をコンピレーションアルバム『Metal Massacre』(1981年)に提供したのを始まりとする意見が多い。しかし、この頃のメタリカは過激なNWOBHMの域を出ておらず、ヴォーカルスタイルもダイアモンド・ヘッドのシンガー、シーン・ハリス メタリカの誕生とほぼ同時期に、ニューヨークではアンスラックス、ロサンゼルスではスレイヤーが活動開始し、アンダーグラウンドシーンに於いて人気を獲得していった。 メタリカを解雇されたギタリストのデイヴ・ムステインは、ロサンゼルスでメガデスを結成した。 また、1980年代初頭のサンフランシスコ・ベイエリアには、メタリカのギタリストのカーク・ハメットがメタリカ加入前に結成したエクソダスや、レガシー(後のテスタメント)といった、スラッシュメタル黎明期を支えたバンドが多くいた。これらのバンドは「ベイエリア・クランチ」といわれる、ザクザクとしたギターサウンドを特徴としていた。 LAメタルが興隆を誇っていたロサンゼルスでは、ショーアップされたヘヴィ・メタルが盛んであったが、サンフランシスコ・ベイエリアでは、より無駄な装飾を廃した過激な音楽の人気が出始めていた。後にメタリカも拠点をサンフランシスコに移し、人気を確立していった。 アメリカに先んじてメタリカの人気に火がついた欧州では、よりヴェノムの影響を色濃く感じさせるソドム (Sodom)、クリーター(Kreator)、デストラクション (Destruction) といった3バンドを筆頭に、ジャーマンスラッシュという苛烈なスラッシュメタルが人気を博していった。 1985年に、アンスラックス等のメンバーらによって結成された、サイドプロジェクトS.O.D.によって、スラッシュメタルとハードコア・パンクのクロスオーヴァーが起こった。以降、それまで互いに相容れなかった、メタルとハードコア、及び両ジャンルのファンの交流が盛んになる。 1980年代半ばになると、その過激な歌詞や、攻撃的な音楽性からスラッシュメタルを避けてきたメジャーレーベルもメタリカをはじめ、アンスラックス、スレイヤー、メガデス、エクソダスといったバンドと契約するようになった。これらのバンドのアルバムは、アンダーグラウンドに留まらず、オーバーグラウンドにおいても商業的に成功し、アメリカビルボードチャートの200位以内に登場するようになる。 その後、多くのバンドがメジャーレーベルと契約するようになり、L.A.メタルの衰退と入れ替わるようにスラッシュメタルムーブメントが興った。しかし、ムーブメントの副産物として似たようなバンドが数多く出現し、スラッシュメタルの粗製濫造ともいえる状態に陥った。また、メジャーレーベルと契約したスラッシュメタルバンドの多くは、聴く人を選ぶ、過激であったはずの音楽性を、より多くの人にアピールすべく(本人達の意志かは別として)変えていった。
音楽性
歴史