この項目「スラッシャー映画」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文::en:Slasher film 09:08, 11 November 2019の版
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スラッシャー映画シリーズ「13日の金曜日」で連続殺人犯ジェイソン・ボーヒーズが着用したアイスホッケーマスクの複製には、偽の血が飛び散った。
スラッシャー映画(スラッシャーえいが、英語: slasher film)は、ホラー映画のサブジャンルのうち、サイコパスの殺人鬼が集団をつけ狙い、多くの場合は刃物で殺害する内容のものを指す[1]。「スラッシャー」という用語は人殺しを含むホラー映画全体を指して使用されることがあるが、映画批評家はスラッシャー映画を、スプラッターやサイコロジカルホラーなどとは一線を画す特徴をもつ一つのサブジャンルであるとみなしている[2]。
初期にはイタリアのジャッロ映画および『血を吸うカメラ』(1960)や『サイコ』(1960)などのサイコロジカルホラー映画から影響を受けたとされる[3][4]。スラッシャー映画は1978年から1984年の間にピークを迎え、「黄金時代」と呼ばれた[5]。著名な作品として、『悪魔のいけにえ』(1974)、『暗闇にベルが鳴る』(1974)、『ハロウィン』(1978)、『ファンタズム』(1979)、『13日の金曜日』(1980)、『血のバレンタイン』(1981)、『エルム街の悪夢』(1984)、『チャイルド・プレイ』(1988)、『キャンディマン』(1992)、『レプリコーン』(1993)、『スクリーム』(1996)及び『ラストサマー』(1997)などがある。何十年も前に公開されたスラッシャー映画で今なおカルト的人気を博しているものも多い[6]。スラッシャー映画は、「古典期」(1974?1993)、「自己言及期」(1994?2000)、「新スラッシャー期(neoslasher)」(2000?2013)の3つの時代に分けられる[7]。 スラッシャー映画は、過去の過ちが記念日などにひどいトラウマとして呼び起こされ、それが殺人鬼を刺激して殺人に駆り立てる、というお決まりの構造をもつ[8][9]。映画は「つきまとい、殺す」という流れを中心に構築され、観客のカタルシス、休息、置き換えといった感情を性的快楽に結びついたものとして利用する[10]。 映画論では、映画の終盤でただ一人取り残され、殺人者の進行に立ち向かうことになる若い女性(男性のこともある)のことをファイナル・ガールと呼ぶ[8]。例えば『ハロウィン』のヒロイン、ローリー・ストロード(ジェイミー・リー・カーティス)が典型である[9]。ファイナル・ガールは、セックスに積極的な10代の若者たちの中にありながら処女とされることが多い[11]。 スラッシャー映画の悪役はアンチヒーロー的特徴を帯びることがあり、殺人者の犠牲者ではなくむしろ悪役の継続的な努力に注目した続編が作られることがある(たとえば、マイケル・マイヤーズ、 フレディ・クルーガー、ジェイソン・ボーヒーズ、チャッキー、ハリー・ウォーデン、 レザーフェイスなど)[12]。『スクリーム』シリーズは、スラッシャー映画には珍しく、各作品で設定が異なる(しかも終盤まで正体はわからない)仮面の殺人者ゴーストフェイスよりむしろ、ヒロインのシドニー・プレスコット (ネーヴ・キャンベル)に焦点を当てた連作である[13]。 人々が互いに暴力を振るうのを見ることの魅力は、 古代ローマ時代まで何千年も遡る[14]が、グラン・ギニョール劇場で制作された19世紀後半のホラーの演劇で架空の物語が人気になった[15]。モーリス・トゥールヌールの『The Lunatics』(1912)は、直感的な暴力を使ってギニョールの聴衆を引き付けた。このような映画は米国で世間の抗議につながり、最終的に1930年にヘイズ・コードが導入された[16]。ヘイズコードは許容できないとみなされるセクシュアリティと暴力を規制するエンターテインメント業界の最初期の一連のガイドラインの1つであった[17]。 推理小説作家メアリー・ロバーツ・ラインハートは、自著『The Circular Staircase』(1908)でホラー文学に影響を与え[18]、同作を原作としたサイレント映画『The Bat』(1926)では、人里離れた邸宅の客がグロテスクなマスクを付けた殺人者によって脅かされる[19]。同作の成功は、ジョン・ウィラードの1922年の舞台劇に基づく『猫とカナリヤ』(1927)および J・B・プリーストリーの小説を原作としたユニバーサル・ピクチャーズの『魔の家』(1932)を含む一連の「古く暗い家」映画が制作された。両方の映画で、町の住人は、後のホラー映画で繰り返し見られるテーマである奇妙な田舎の人々と戦っている。「逃亡中の狂人」のプロットに加えて、これらの映画は、長い視点のショットやプロットの暴力を推進する「父の罪」触媒など、スラッシャージャンルにいくつかの影響を与えた[20]。 ジョージ・アーチェインバウドの『殺しの占星術』(1932)は、後の映画『プロムナイト』(1980)および『鮮血!悪夢の卒業式』(1981)でも見受けられる、学校のアルバムを用いてかつての学校友達に対する復讐を企む人物の物語である[21]。初期の例には、エドガー・ウォーレスの戯曲に基づく『The Terror B級映画の大御所ヴァル・ルートンは、殺人犯が女性を殺害した自身の罪を逃走したショーのヒョウに着せようとする『レオパルドマン 豹男』(1943年)を制作した[22]。ベイジル・ラスボーンの『緋色の爪』(1944)でシャーロック・ホームズは、殺人犯が庭の五角除草器を繰り返し空中に振り上げ被害者へと振り下ろし殺害した事件を捜査するが、この(殺害シーンの)編集技術はこのジャンルではお馴染みのものになっている[23]。ロバート・シオドマクの『らせん階段』(1946)は、エセル・リナ・ホワイトの小説『Some Some Watch』が原作であり、黒手袋をつけた殺人者から生き残ろうとする思いやりのある女性をエセル・バリモアが演じている。『らせん階段』はまたジャンプスケアの早期の使用を特徴としている[24]。 イギリスの作家アガサ・クリスティの代表作である『そして誰もいなくなった』は、秘密の過去を持つ者達が孤島に集められ、一人ずつ殺されていく内容である。作中では童謡の一節に見立てた殺人が行われており、子供の頃の無邪気さと復讐殺人のテーマを統合している[25][26][27]。『肉の蝋人形』(1953)、『悪い種子』(1956)、『Screaming Mimi』(1958)、『霧の夜の戦慄』(1959)及び『Cover Girl Killer』(1959)にはすべて、クリスティの文学テーマが組み込まれている[28]。 アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』(1960)は、暴力、性行為、さらにはシャワーシーンなど、映画スタジオでは受け入れられないと見なされていた視覚表現を用いた。この映画は、バーナード・ハーマンによる象徴的な楽曲を特徴としており、しばしばスラッシャー映画やホラー映画で模倣されている[29]。同年に公開された『血を吸うカメラ』(監督:マイケル・パウエル)の物語は、死を迎える瞬間の表情を写真に撮るために、女性を殺す男の視点から描かれている[3][30]。 『サイコ』は、ジャネット・リーがノミネートされた助演女優賞を含め4部門でノミネートされ、ノーマン・ベイツ役を演じたアンソニー・パーキンスに世界的な称賛が寄せられた[29][31]。この注目により、人気のある映画俳優達はホラー映画への出演を熱望した[32]。ジョーン・クロフォードはウィリアム・キャッスルの『血だらけの惨劇』(1964) [33]とジム・オコナリーの『姿なき殺人』(1967)に出演した[34]。アルバート・フィニーはMGMの『Night Must Fall』(1964)(1937年のイギリス映画のリメイク)[35]に、 ピーター・カッシングは『狂ったメス』(1968)に出演した[36]。 ロンドンに本拠を置くハマー・スタジオは、サイコの成功に続いて『恐怖』(1961)、『惨殺!』(1963)、『Paranoiac』(1963)、『恐怖の雌獣』(1964)、『Fanatic』(1965)、『妖婆の家』(1965)、『Hysteria』(1965)及び『Crescendo』(1970)を公開した[37][38]。
定義
一般的な技法
起源一部の批評家がスラッシャー映画への影響として挙げた形式であるグラン・ギニョールのシーン
初期の映画の影響『らせん階段』(1946)のドロシー・マクガイア
1960年代のホラースリラーアルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』(1960)は、公開時に大成功を収め、スラッシャーというジャンルに決定的な影響を与えた