座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯2度07分 東経120度20分 / 南緯2.117度 東経120.333度 / -2.117; 120.333
スラウェシ島
所在地 インドネシア
所在海域大スンダ列島
面積174,600 km²
海岸線長- km
最高標高3,478 m
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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マナドの景色
スラウェシ島(スラウェシとう、インドネシア語:Sulawesi)は、インドネシア中部にある島。植民地時代はセレベス島(蘭: Celebes)と呼ばれたが、インドネシア独立後は一般的にはスラウェシ島と呼ばれる。一部が赤みがかったタロイモの品種であるセレベス芋は、この島が原産である。 面積は17万4600平方キロメートルで、世界第11位、インドネシアでは第4位の大きさを誇る。西にカリマンタン島、東にマルク(モルッカ)諸島、北にセレベス海を挟んでミンダナオ島、そして南にフロレス海を挟んで小スンダ列島(ヌサ・トゥンガラ諸島)が位置する。 環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の合流点にあるため地形は複雑であり、特徴あるアルファベットのKの字のような形状をしている。山がちな地形であり、最高所として標高3,478mのラティモジョン山を有し、トウティ湖等の湖もある。そのため、各地域は交流が少なく独自性が強くなり、長らく島としての一体性が弱かった。 島の東側の3つの湾(トミニ湾、トロ湾、ボネ湾)のうち、最も北側のトミニ湾に浮かぶウナウナ島のコロ山は1983年に大噴火を起こしたが、全島避難により間一髪で人的被害を免れた[1]。 スラウェシ島の最大の都市は、南西端にあるマカッサル。その他の主要都市として、南東部にケンダリ、北部のミナハサ半島にはゴロンタロやマナドがある。 1525年に島を訪れた最初のヨーロッパ人は、モルッカ諸島より金の探索に派遣されたポルトガル人であった。島は曲がった形をしているので当時は列島であると信じられていて、金を産出しているとの噂が流れていた。1605年にオランダ人がやってきて、直後にイギリス人が続きマカッサルにファクトリー[2]を設立した。1660年よりオランダはマカッサル西海岸の主力であるゴワ王国
概要
歴史
第二次世界大戦南方作戦の1942年1月11日のメナドへの侵攻、1月24日のケンダリーへの上陸・占領、2月8日のマカッサル攻略作戦。その後、日本軍第2方面軍が占領した。
革命中に悪名高いオランダのターク・ウェステルリンク(英語版)大尉が3,000から4,000人もの人を殺害したとされるインドネシア独立戦争(インドネシア革命)の後、1949年、スラウェシは独立したインドネシア連邦共和国の一部となり、1950年、インドネシア連邦共和国はインドネシア共和国となった。
宗教的対立詳細は「ポソ宗教戦争」を参照
近年スラウェシは、イスラム教過激派とキリスト教過激派の間での暴力に苦しめられている。1998年から2001年の間に、1,000人以上がスラウェシ中部で勃発した暴力、反乱によって殺された。2001年、平和的なマリノ平和合意がなされたが、暴力を根絶するものとは成り得ず、翌年も緊張と組織的な攻撃が継続した。
2003年にポソの13人のキリスト教徒の村人が、身元不明のマスクをした狙撃手によって殺された。2005年にポソでクリスチャンスクールの女生徒達がイスラム武装組織に斬首された。斬首された一つ首の横には、「命には命、首には首を」というメッセージが添えられていた。2006年に、Fabianus Tibo、Dominggus da Silva、Marinus Riwuの3名のカトリック教徒が、2000年代初頭の暴動の際にカトリック教徒の軍を導いた罪で銃殺刑に処せられた後、キリスト教徒の多いスラウェシの中央部や国内の他のエリアで、暴動が再び起きた。暴動の支持者は、暴力事件に関与したイスラム教徒はとても軽い刑であり誰も死刑になっておらず、政府に判決に際してダブルスタンダードを用いている、と主張した。暴力事件は、イスラム教徒を対象としたものではなく、政府を狙ったものであった。
2005年の女子高生首切り殺害事件の捜査が進み、事件の背景としてジェマ・イスラミアが組織的に関与していることが判明し、マルク諸島・アンボンの宗教紛争(英語版)と同じ構図が浮上した[3]。住民間の争いのように見せかけて情報を流し住民感情を煽りながら、背後でジェマ・イスラミアが軍事教練を行い、武器供与を行っていたことが明らかになっている。 2018年9月28日、中部スラウェシ州ドンガラ県・パルでマグニチュード7.5の地震が発生。津波に加え、液状化現象による大規模な泥流が発生し、甚大な被害となり4,340人が死亡した[4]。「スラウェシ島地震」も参照 2021年1月15日、西スラウェシ州でマグニチュード6.2の地震が発生。住宅がつぶれるなどの被害が多数発生し、105人が死亡した[5]。「西スラウェシ地震 行政上は次の6州から成る。
2010年代
2020年代
行政スラウェシ島の行政区分
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} Sulawesi Barat 西スラウェシ州 (州都:Mamuju マムジュ
Sulawesi Tengah 中部スラウェシ州 (州都:Palu パル)
Sulawesi Tenggara 南東スラウェシ州 (州都:Kendari ケンダリ)
Sulawesi Selatan 南スラウェシ州 (州都:Makassar マカッサル)
Sulawesi Utara 北スラウェシ州 (州都:Manado マナド)
Gorontalo ゴロンタロ州 (州都:Gorontalo ゴロンタロ)
都市
マカッサル - 南スラウェシ州・州都
ポソ - 中部スラウェシ州
住民
民族詳細は「インドネシア諸族」および「アルフル族」を参照
ゴロンタロ族(インドネシア語版)(インドネシア語: Suku Gorontalo)