スマトラ島
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スマトラ島

所在地 インドネシア
所在海域インド洋マラッカ海峡
所属諸島大スンダ列島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯0度0分0秒 東経102度0分0秒 / 北緯0.00000度 東経102.00000度 / 0.00000; 102.00000座標: 北緯0度0分0秒 東経102度0分0秒 / 北緯0.00000度 東経102.00000度 / 0.00000; 102.00000
面積473,600 km²
最高標高3,805 m
最高峰クリンチ山
最大都市メダン
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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主要都市。スマトラ島は面積において世界第6位。水平の青線は赤道、垂直は東経100度地形図赤線がスマトラ断層。赤の三角が火山島北部にある巨大カルデラトバ湖バタック人の戦士(1870年)

スマトラ島(スマトラとう、インドネシア語: Pulau Sumatera、ジャワ語: ??????)は、全域がインドネシア共和国大スンダ列島に所属する世界で6番目に大きい島である。北部にはインドネシアで5番目に人口の多い都市メダンがある。マレー半島カリマンタン島と同様に油田が存在し、特に中部のミナス油田はインドネシアで埋蔵量、産出量共に最大である。
歴史

マラッカ海峡に臨み東西交通の要衝であるため、古代からシュリーヴィジャヤ王国7世紀-13世紀)などの諸王朝(en:Dharmasraya、en:Pagaruyung Kingdom)が興った。その後はスマトラ島の大部分はマジャパヒト王国の支配下に入っている。古くはヒンドゥー教仏教が優勢だったが、交易を通じてイスラム教が入流入し、13世紀末からイスラム教王朝の支配もあった(サムドラ・パサイ王国アチェ王国、シアク王国(英語版))。

1292年マルコ・ポーロがサムドラ・パサイ王国を訪れている。

14世紀にはイブン・バットゥータが訪れている。

15世紀には鄭和がスマトラ(蘇門答剌)に寄航している。

16世紀以後ポルトガルイギリスオランダが進出。

パドリ派とアダット派(オランダ軍が支援)の間でパドリ戦争1821年 - 1837年)。北部アチェ王国が最後まで抵抗したが、1873年?1914年アチェ戦争後、オランダ東インド会社の支配権が確立した。

太平洋戦争において、パレンバンの豊富な石油資源を求めて日本1942年に占領したが1945年に撤退。

1949年のインドネシア独立後は、豊富な石油資源をもとに経済開発の中心の1つとなっている。

1970年代以降、インドネシア政府のジャワ島人口分散の一環として、200万人以上がスマトラに移住した。
アチェ州分離独立運動詳細は「アチェ独立運動」を参照

19世紀までは北部にアチェ王国が存在したが、オランダによって征服された。第二次世界大戦後、イスラム教の流れからイスラム共和国建設の流れを強め、アチェ王国の流れをくむ武装勢力自由アチェ運動が、アチェ州の分離独立を求めてインドネシア軍と戦闘を行っていた。


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