日本の政党スポーツ平和党
成立年月日1989年6月23日届出[1]
解散年月日2006年6月18日[2]
本部所在地〒107-0061東京都港区北青山三丁目5-7[3](解散時)
政治的思想・立場スポーツの精神を政治に取り込み、全国民が健康体を維持することで平和を実現する。
政治資金規正法上の政党要件は1998年7月17日に満たさなくなった[4]。2004年4月1日以降は、政治資金規正法第17条第2項により、政治活動(選挙運動を含む)のために寄附を受け、または支出をすることができない団体となった[5]。
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スポーツ平和党(スポーツへいわとう、英: Sports and Peace Party)は、かつて存在した日本の政党。略称、スポ平(スポへい)[6]、スポーツ[7]。スポーツの精神を政治に取り込み、全国民が健康体を維持することで平和を実現しようとしていた政党である。 1989年(平成元年)、プロレスラーのアントニオ猪木を中心に結成。第15回参議院議員通常選挙において比例区に10人の候補者を擁立し、投開票の結果1議席を獲得、比例名簿第1位であった猪木が参議院議員に初当選した[8]。当時の比例区は厳正拘束名簿式で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出たとされる。参議院では民社党と統一会派を組んだ(「民社党・スポーツ・国民連合」)。 1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙では、1970年代に南海ホークスや阪神タイガースの投手として活躍した野球評論家の江本孟紀を比例区名簿第1位で擁立し、他にも猪木の実兄である猪木快守(比例名簿第4位)、新日本プロレスの営業本部長として辣腕を振るった猪木の側近である新間寿(比例名簿第2位)、同じく新日本プロレスの元リングアナウンサー・専務であった倍賞鉄夫[9](比例名簿第6位、1989年も比例名簿第10位で立候補)なども立候補[10]した。結果は比例区で1議席を得て、名簿第1位の江本が参議院議員に当選した[11]。1994年(平成6年)には会派を組む民社党と共に野党系統一会派の「新緑風会」に合流するが、同年の新進党結党には参加せず、民主改革連合と共に「新緑風会」に残留した。 1993年(平成5年)6月には猪木の政治資金規正法違反疑惑などの週刊誌報道を受け、猪木が一時党首を辞任(江本が代表代行を務める)。さらには猪木の公設秘書や党幹事長に就いていた新間寿が猪木の疑惑を告発するなど党内は分裂状態となる。 1995年(平成7年)、元日本社会党で護憲新党あかつき代表の上田哲を共同代表に迎え、「あかつき」を吸収合併する形で第17回参議院議員通常選挙には比例区で3人を擁立。名簿順第1位で現職の猪木、第2位で上田、第3位で新日本プロレスのリングドクターの林督元がそれぞれ立候補したが[12]、投開票の結果、議席を獲得できずに猪木は議席を失った。この選挙では猪木のかつての付き人であった田延彦が副党首を務めるさわやか新党が候補を擁立した[13][12]ことで競合して票割れした事も大きかった。
歴史
政党として