スポーツ・イラストレイテッド
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スポーツ・イラストレイテッド
Sports Illustrated

愛称・略称SI,スポイラ(日本)
ジャンルスポーツ
刊行頻度週刊隔週刊月刊
発売国 アメリカ合衆国
言語英語
出版社theMaven, Inc.
発行人Chris Stone
編集長Stephen Cannella
ISSN0038-822X
刊行期間1954年 - 現在
発行部数1,618,476[1]部(2020年12月Alliance for Audited Media調べ)
ウェブサイトwww.SI.com
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スポーツ・イラストレイテッド(英語: Sports Illustrated)は、オーセンティック・ブランズ・グループ(英語版)(ABG)が所有し、theMaven, Inc.が発行するアメリカ合衆国スポーツ月刊誌である。日本では「スポイラ」「SI」「SI誌」などとも呼ばれる。1954年8月に創刊された。

創刊から長らく週刊であったが、2018年1月からは隔週刊に、2020年1月からは月刊となった[2]

初めて発行部数100万部を超えた雑誌で、全米雑誌賞総合優秀賞を2度受賞している。1964年から毎年発行されている水着特集号でも知られ、他にも補完的なメディア作品や商品を生み出してきた。

2018年、発行会社のタイム社メレディス・コーポレーションに売却されたが、メレディス社は同誌が同社のライフスタイル関連の資産と整合性が取れていないとして売却を計画していると述べていた。翌年、メレディスは『スポーツ・イラストレイテッド』をABGに売却すると発表した。メレディス社は当初、ABGからのライセンスの下で印刷版・デジタル版の出版を継続することを計画していたが、ABGは「スポーツ・イラストレイテッド」というブランドを他の市場でも活用することを計画していた。ABGは後に、出版権をデジタルメディア会社であるtheMaven, Inc.に譲渡すると発表した。
歴史
前史

タイム社により現在の雑誌が1954年に創刊される以前に、『スポーツ・イラストレイテッド』という名前の雑誌が2つあった[3]。1936年、スチュアート・シェフテルはスポーツマンをターゲットに『スポーツ・イラストレイテッド』を創刊した。この雑誌はゴルフ、テニス、スキーに焦点を当て、主要なスポーツに関する記事を掲載していたが、1938年に廃刊となった。シェフテルはデル出版社にこのブランドを売却した。デル社は1949年にこの名前の雑誌を創刊した。デル社の雑誌は、主要なスポーツ(野球、バスケットボール、ボクシング)に焦点を当て、『スポート』などの他の月刊スポーツ雑誌と競合していたが、6号で廃刊となった。
創刊

1940年代まで、上記に挙げたものを含め、スポーツ雑誌は全て月刊誌であり、制作スケジュールの関係で最新のスポーツの結果を取り上げることができなかった。すなわち、実際に行われているイベントについて全米的に取り上げる大規模な一般週刊スポーツ誌は存在しなかったのである。そこで、『タイム』誌を支配していたヘンリー・ルースは、そのギャップを埋めるために自社でそのような雑誌を創刊することを検討し始めた。当時、多くの人は、スポーツはジャーナリズムの対象となるものではないと考えており、スポーツニュースで週刊誌を作ることは(特に冬の間は)できないと考えていた。『ライフ』誌のアーネスト・ヘーベマンなど、多くのルースの顧問がこのアイデアを阻止しようとしたが、スポーツファンではなかったルースは、今がその時だと判断した[4]。新しい雑誌の目標は、基本的には雑誌でありながら、スポーツを取り入れたものにすることだった。タイム社の多くの人は、ルースのアイデアを嘲笑した。W・A・スワンバーグ(英語版)によるピューリッツァー賞を受賞したルースの伝記Luce and His Empireによれば、会社の知識人たちは、提案された雑誌を"Muscle"(筋肉)、"Jockstrap"(男子スポーツ選手が使用する局部用サポーターのこと)、"Sweat Socks"(スウェットソックス)などと呼んでいたという。

この雑誌は1954年8月16日に創刊された。当時のキャッチコピーはnot A sports magazine, but THE sports magazine.で、一スポーツ誌にとどまらず、スポーツ誌の代名詞となるべく創刊された。最初の12年間は採算が取れず[5]、特にうまく運営されていたわけではなかったが、ルースが雑誌を創刊したタイミングは良かった。アメリカでの観戦スポーツの人気は爆発的に上昇しようとしていたが、その人気は、アメリカの経済的繁栄、テレビ放送、そして『スポーツ・イラストレイテッド』誌の3つの要素によって大きく牽引されるようになった[6]

この雑誌の創刊当初は、読者に対する2つの相反する見解の間に挟まれていた。題材の多くはヨットポロサファリ旅行などの上流階級の活動に向けられていたが、高級志向の広告主は、スポーツファンが市場の重要な部分を占めていることに納得していなかった[7]
ラゲール編集長時代

10年以上に渡って赤字が続いた後、1960年代にアンドレ・ラゲール(英語版)が編集長に就任したことで、同誌の経営はようやく好転した。ラゲールは元々タイム社のヨーロッパ特派員で、後にパリとロンドンのタイム・ライフ・ニュース局のチーフに就任していた。1956年のコルチナ・ダンペッツオ冬季オリンピックを独自に取材し、それがSI誌のオリンピック報道のメインとして使われたことで、ラゲールはヘンリー・ルースの注目を集めた。1956年5月、ルースはラゲールをニューヨークに呼び寄せ、SI誌の副編集長に就任させた。1960年に編集長に就任したラゲールは、発行部数を2倍以上に増やした。彼は、部門別編集者制度を導入し、社内フォーマットを再設計し[8]、その週のスポーツイベントのフルカラー写真をニュース誌では前例のない形で使用した。また、アメリカンフットボールプロリーグに対する国民的関心の高まりをいち早く感じ取った一人でもあった[9]

またラゲールは、毎号の巻末に長編記事を1本載せるという革新的なコンセプトを打ち出し、これを「ボーナス・ピース」と呼んだ。この詳細な記事は、他のスポーツ雑誌にはないSI誌の特徴となり、また、フランク・デフォードのような伝説的なライターを発掘することとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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