スポーツエージェント(英: Sports agent)は、アスリートやコーチなどのプロスポーツ従事者の法定代理人(エージェント)を指す。 アスリートまたはコーチとの間で代理人契約を結び(プリンシパル=エージェント理論)、クライアントが所属する組織(チーム等)との契約交渉を担当する他、クライアントの広報活動を補佐する。インターナショナル・マネジメント・グループ (IMG)、 クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー (CAA)、 オクタゴン・ワールドワイドなど組織的にスポーツエージェント業務を手がける企業もあり、投資から税金の申告まで、クライアントの財務のあらゆる側面を処理する。スポーツビジネスが早期に確立したアメリカ合衆国で生まれた職業で、プロスポーツ界そのものに影響力を及ぼすこともある[1]。 スポーツエージェントの所管する範囲は時に広いことがあり、たとえば、アイスホッケー選手のエージェントは15歳の若さでクライアントの募集を開始し、エージェントがNHLドラフトの前にアスリートのキャリアを指導できるようにすると言ったことが行われる。 契約の長さと複雑さのために、多くのスポーツエージェントは弁護士であるなど、契約法に関するバックグラウンドを有する。エージェントは、スポーツだけでなく、財務、経営管理、およびリスク分析についての知識が必要となるほか、スポーツについてのトレンドを追うことも重要となる。交渉を主な業務とするため、優れたコミュニケーション能力と交渉のスキルも重要となる。エージェントは一度に複数のクライアントに代わって交渉することが一般的である[2]ため、意欲が高く、長時間働く意欲があり、マルチタスクが可能である必要がある。 個人で業務を行うエージェントも存在するが、多くの場合はエージェント業務を担う企業の社員として勤務する[3]。個々のエージェントが処理できるクライアントの数と、彼または彼女の雇用機関が合計で処理できるクライアントの数は、相互に依存する変数です。 現在では多くのエージェントが介在するサッカーの分野においても、1991年に国際サッカー連盟 (FIFA) が公認代理人制度を導入するまでは(エージェントを職業とする)代理人が公には認められておらず、一部の選手は両親などを代理人として用いていた。ほとんどの親はサッカービジネスについて素朴であり、これらの若いサッカー選手は、クラブから選手が本来有する価値に満たない契約を結ばされることが多く、彼らにふさわしい金額より低い俸給を生み出した[4]。FIFAが公認代理人制度を導入して以降、2011年11月現在では世界中に6,082の公認代理人がおり、うち4割以上がいわゆる「5大リーグ」が所在するイングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスに主たる拠点を構えているという[5]。2001年以降はFIFAから直接ライセンスを受けず、代わりに各国・地域のサッカー協会から直接ライセンスを供与されるようになっている。さらに2015年にはFIFAの資格制度としての「公認代理人」が廃止となり、各サッカー協会が代理人を登録する制度に移行している[6]。 スポーツエージェントは通常、アスリートの年俸の4%から10%、およびアスリートの契約金(移籍金)の10%から20%を受け取ることが通例と言われているが、競技によっては上限額が設定されており、NFLではクライアントの年俸の3%を超えて、 NBAでは4%を超えて受け取ることは許可されていない。 映画 漫画
概要
メディアでの描写
ザ・エージェント(1996年)
エニイ・ギブン・サンデー(1999年)
トゥー・フォー・ザ・マネー(2005年)
グラゼニ(2011年-)
サッカーの憂鬱 裏方イレブン(2013年)
著名なスポーツエージェント
野球スコット・ボラス
スコット・ボラス:メジャーリーグの歴史とスポーツの歴史の中で最高額の契約を交渉したことで知られる。クライアントにはアレックス・ロドリゲスやプリンス・フィルダーなど。
アーン・テレム:クライアントにはアルバート・ベル、マイク・ムッシーナ、チェイス・アトリーなど。バスケットボールのエージェントとしても知られ、トレイシー・マグレディ、ジャーメイン・オニール、パウ・ガソル、ジョー・ジョンソンなどを担当。
バスケットボールデイヴィッド・フォーク
デイヴィッド・フォーク
ダン・フェガン:最近失効したNBA団体交渉協定でいくつかのニュアンスを生み出したことで知られる。クライアントには、ジョン・ウォール、ドワイト・ハワード、リッキー・ルビオなど。
アーロン・グッドウィン