スポーツにおけるハカ
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2006年11月、対フランス戦でリッチー・マコウがリードしてオールブラックスが「カマテ」を披露する様子

マオリ伝統的なダンスであるハカニュージーランドを中心とする各国のスポーツに取り入れられている。マオリの戦士の鬨の声であるハカは士気を高めるものとしてニュージーランドで親しまれており、「オールブラックス」ことラグビーユニオンニュージーランド代表がこのダンスを用いて試合の挑戦を行うのが通例である。他のニュージーランドのスポーツ代表チームや、人口の大半がマオリであるニュージーランド領クック諸島の代表チームも国際試合の前にハカを踊ることが多い。スポーツの場で披露されるハカはニュージーランド国民のアイデンティティを象徴するものとして非常に重視されている。
発祥1932年に対オーストラリア戦でオールブラックスが踊ったハカのクライマックス。

1888年にマオリを中心とするラグビー代表チームであるニュージーランド・ネーティブズがハカを踊ったのが始まりであると言われている[1]

1903年8月にニュージーランドチームがシドニーで行われた対オーストラリア戦において初めて国際試合でハカを披露したが、この時の演目は「テナコエカンガルー」であった[2]。1905年の遠征で代表チームはオールブラックスと呼ばれるようになったが、その際に定番となるハカ「カマテ」を初めて踊っており、この時は対戦相手に対して士気を高めるというよりは観客向けのもてなしとしての要素も強かった[3]。1924年にオールブラックスがイギリスに遠征した時は「コニウティレニ」が使われた[4]。1935-36年の遠征ではそもそもあまりハカが使われなかった[4]

1980年代にマオリの選手であるウェインバックシェルフォードがオールブラックスだった際、ハカがそれまでよりも重視されるようになり、試合前にほぼ必ず披露されるようになった[3]。マオリの選手がリードをつとめるのが通例であるが、21世紀になってからはマオリ系でない選手がリードをつとめることもある[5]
「カマテ」2008年ラグビーワールドカップでハカを踊るラグビーリーグニュージーランド代表

「カマテ」は1820年頃にナティ・トアの首長テ・ラウパラハが作ったと言われている[6][7]。テ・ラウパラハは極めて勇猛な戦士として知られており、「カマテ」には「生死の境で揺れ動く感情[6]」が表現されていると言われている。本来の歌詞は現在オールブラックスが歌うバージョンより長い[6]

1905年、代表チームは本格的なイギリス遠征を行い、この頃からオールブラックスという愛称が用いられるようになったが、「カマテ」を初めて披露したのもこの遠征である[8]。対スコットランド戦および対ウェールズ戦で披露されたという記録が残っている[9]。「カマテ」はオールブラックスがパフォーマンスするハカの中でも最も有名なものであり、ニュージーランドのナショナリズムにおいて重要な位置を占めるものとなっている[9]。「カマテ」は通常、リーダーの指示に率いられて他の全員が歌うという構成になっており、歌詞は以下のようなものである[10]

「カマテ」リーダーTaringa whakarongo!耳をすませ!
Kia rite! Kia rite! Kia mau!準備!整列!起立!
チームH?!はい!
リーダーRinga ringa pakia!手でももを叩け!
Waewae takahia kia kino nei hoki!力のかぎり地面を足で踏みならせ!
チームKia kino nei hoki!力のかぎり!
リーダーKa mate, ka mate私は死ぬ!私は死ぬ!
チームKa ora' Ka ora'私は生きる!私は生きる!
リーダーKa mate, ka mate私は死ぬ!私は死ぬ!
チームKa ora' Ka ora'私は生きる!私は生きる!
全員T?nei te tangata p?huruhuruここに毛深い男が立ち
N?na ne I tiki mai whakawhiti te r?太陽を呼びよせ、我が身のその光を
A Upane! Ka Upane!乗るなら今だ!乗るなら今だ!
A Upane Kaupane"最初の一歩を踏み出せ!
Whiti te r?,!太陽の光を!
H?!立ち上がれ!

「テナコエカンガルー」(1903年)2014年、ダニーデンで披露されたハカ

1903年8月に対オーストラリア戦で披露された「テナコエカンガルー」はこの時のために作られたものである[11]。初めて「テナコエカンガルー」を披露したこの試合ではニュージーランド代表が勝利している[12]。歌詞は7月の時点で『シドニー・モーニング・ヘラルド』や『サンデー・タイムズ』など地元のいくつかのメディアで報道されており、以下のような内容であった[2][11][13][14]

Tena koe, Kangarooどうだい、カンガルー!
Tupoto koe, Kangaroo!気をつけろよ、カンガルー!
Niu Tireni tenei haere neiニュージーランドの襲撃だ
Au Au Aue a!お前さんにはたいした災難だぞ!

「コニウティレニ」(1924年)

1924年から25年にかけてオールブラックスが「ジ・インヴィンシブルズ」ツアーを行った際には、この時のために作られたハカ「コニウティレニ」が使用された[4]。この遠征の時にパリジェイムズ・ジョイスがオールブラックスのハカを聞いており、ニュージーランドで修道女をしていた妹シスター・メアリー・ガートルードに手紙でこのことを書き送っている他、『フィネガンズ・ウェイク』でもこのハカを引用している[15]
「カパオパンゴ」(2005年)

映像外部リンク
All Blacks haka vs Australia (Kapa o Pango)
- YouTube
2019年ブレディスローカップ(オーストラリア対ニュージーランド)で披露されたカパオパンゴ。オールブラックス公式チャンネルがアップロードした動画。

2005年8月27日にダニーデンカリスブルック競技場で行われたトライネイションズの対南アフリカ戦で、オールブラックスが初めて新しいハカ「カパオパンゴ」を披露した[16]。チームのキャプテンであるタナ・ウマガが長く挑発的な文句で先導し、親指をのどのあたりで動かす振付があったため、のどをかき切る動作だと解釈された[16]。「カパオパンゴ」は「黒のチーム[1]」という意味である。ンガティ・ポロウのレデク・ラーデリが作者である[17]。「カパオパンゴ」は「コニウティレニ」の初めの部分を参考にして作られている[18]
受容
伝統とナショナリズムフランスのリヨンで行われた対ポルトガル戦でのハカ

オールブラックスが披露するハカはニュージーランド人のアイデンティティにとって非常に重要な役割を果たすものだと考えられている[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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