スペース1999
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『スペース1999』(スペースいちきゅうきゅうきゅう、: SPACE:1999)は、1973年から1976年(撮影は、第1シーズンが1973年12月?1975年2月、第2シーズンが1976年1月?同年12月)にイギリスジェリー・アンダーソンが製作した、SF特撮テレビドラマドラマシリーズである。2シーズン計48話が製作され、ITC(インコーポレーティッド・テレビジョン・カンパニー)により配給された。なお、日本のTBS系で第1シーズンが放映された際には、実際の画面上の邦題は『スペース・1999』で、小説版の邦題もそれに倣っている。またテレビ朝日での第2シーズン放映時には『宇宙大冒険 スペース1999』と副題が付けられた。
概要
作品史

当初は同じITCの人気ドラマ『謎の円盤UFO』の第2シーズンとして企画されたが、その後、全く新規の作品として完成したSFテレビドラマである。

『謎の円盤UFO』まで参加していた視覚効果監督のデレク・メディングスは、本作品を含む以後のアンダーソン作品には参加していない。そのせいもあってか、従来のアンダーソン作品のミニチュア特撮と比較して雰囲気(爆発、操演)が若干異なり、加えて多くの電子音や飛行音、爆発音などの音響効果も違っていた。

しかし、メイン・ミッションの背後に流れていたコンピュータ類の音響は『キャプテン・スカーレット』の1エピソードで確認することができる。また、第1シーズンのみだがバリー・グレイの手による音楽にも、アンダーソン作品でお馴染みのフレーズが登場している。本作では過去作品のBGMが頻出する傾向があったが、一方でグレイ作曲ではない既成曲(ホルストの『惑星』など)の使用も目立った。

なお、本作品では特撮はブライアン・ジョンソンが担当した。ブライアン・ジョンソンは『サンダーバード』のころからブライアン・ジョンコックの名で特撮班第2班の指揮を担当していた。ブライアン・ジョンソンはこの後『スター・ウォーズ』に参加している。
放映

第1シーズン全24話は、650万ドルつまり各話約275,000ドルの費用をかけて作られ、米国155局と海外100局で販売された[1]。「スペース1999の資金を提供したのは、ITCの親会社の会長で大富豪のルー・グレード卿だ。しかし、この番組の成功の原動力は、ITCのニューヨーク支社長エイブ・マンデルであり、彼は3大ネットワークから契約を拒否された後、自らこのSFドラマを155局に売り込んだ」[2]「スペース1999は米国市場155局と海外100局で販売された。その成功により、前例のない720万ドルの予算を受けた24話からなるシーズン2が発表された」[3]
第1シーズン視聴率

第1シーズンの視聴率は成功を収めた。「秋のテレビ番組は記録的な不作となったようで、3大ネットワークにも芳しい作品はほとんどなかった。驚異的なヒットとなったスペース1999を除いては。この英国製SFドラマは、米国の155のテレビ局で宇宙的な視聴率を獲得しているが、3大ネットワークの番組ではない。実際、3大ネットワークは英国ITC社から交渉のあったスペース1999の契約を断ってしまった。CBS、NBC、ABCにとって事態をさらに恥ずかしいものにしているのは、彼らのローカル系列局がこの番組を放映し、自分たちよりもスコアを稼いでいることだ」[2]「ニューヨーク独立局の夕方の視聴占拠率の平均は6?7%だが、スペース1999は日曜日午後6時30分から7時30分の放映で20%を獲得した。これは、スタートレックが平日午後6時から7時の放映で13%、土曜日の放映で21%という数字と比較しても、悪くない内容だ」[4]「ニューヨークWPIX-TVチャンネル11のスペース1999がビッグヒット!午後6時30分から7時30分の平均値で視聴率は17%、視聴占拠率は36%。裏番組のNFLフットボールの視聴率11%、視聴占拠率24%を大きく超えた」[5]
第1シーズンと第2シーズン

両シーズンでは作品のカラーが大きく異なる。第1シーズンはミニチュア特撮のリアル感とストーリーの壮大さで骨太な作風だったが、視聴率の悪さから、やや地味だった作品のムードが反省され、第2シーズンでは、より派手さと娯楽色をつよめた作風となった。予算などのスケールダウンでセットや衣装などの設定変更も生じている。内容的には新レギュラーの異星人のマヤの設定を生かした、第1シーズンにはない着想の話が多く製作され健闘したが、第2シーズンの途中でITCが制作中止命令を出してしまった。海外ドラマでは珍しいことでは無いが、アンダーソン作品では複数シーズン制が大変少なく、当作と前作の『プロテクター電光石火』以外では、『サンダーバード』が一応2シーズンになっているだけである。

制作に忙しく夫婦としての生活にすれ違いを生じてしまったジェリー・アンダーソンが、第1シーズン終了後の打ち上げパーティーで、シルヴィアとの離婚を公表した。このため第2シーズンは応援として『スタートレック(宇宙大作戦)』のプロデューサー、フレッド・フライバーガー(Fred Freiberger)が参加した。また、予算が若干少なくなったためにバーグマン教授役のバリー・モースと出演料の折り合いがつかず、第2シーズンにはバーグマン教授は登場しない。

音楽も第2シーズンはバリー・グレイからデレク・ワズワースに交代した。ただし、第1シーズンの音楽も、バリー・グレイが本作品用に書いた曲は全体の3分の1程度であり、のこりはヴィク・エルムス(ジェリー・アンダーソン夫妻の義理の息子のポップ・ミュージシャン)によって作曲された曲であった。第2シーズンでのデレク・ワズワースの起用は、ジェリー・アンダーソンが、本作品の第1シーズンと第2シーズンの間に製作したテレフィーチャー『The Day After Tomorrow - Into Infinnity (ザ・デイ・アフター・トゥモロウ)』(日本未放映)でのデレク・ワズワースの書いた曲を気に入ったからとのことである。

後に、マーティン・ランドーは2つのシーズンを比較して語っている[6]。「ファーストシーズンの方が好きだった。より真実味があった」「米国の商業的発想に基づいて変えられてしまった」「ファーストシーズンでスタートしたエピソードは、私がやりたいと思っていた路線に沿ったものが多かったように感じる」「スペース:1999には独自のスタイル、独自の感触、独自の外観があり、手を着けなければそれは成長していたと思う。それには時間が必要だったが、その時間は与えられなかった。彼らはプロセスを急がせた。もしフォーマットが変更されていなかったら、ヒットしていたと思う」
ハードウエアに関する逸話

出典:[7]

アンダーソンが手掛けたスペース1999のハードウエアについて、彼の”一番のお気に入り”の逸話がある。「スペース1999の放送が米国で開始されて間もないころ、私はニューヨークのホテルにある混み合ったレストランで偶々相席になった男性と少しおしゃべりをした」「"私は映画プロデューサーで、あなたは多分見ていないかもしれないが、スペース1999という番組を3週間前から放映してるんだ"と話したところ、彼は"ああ、それなら見たよ"と微笑み、"素晴らしいハードウエアだ"と言ったんだ」「うれしくなった私は、ケープ・ケネディに実際に行ったこと、アポロの組立棟や発射台についても説明し、初の月旅行をフィルムにしたかったが関係者の関心を得られなかったこと、そしてこの月旅行が今まで人類が経験したこともない、驚嘆すべき壮大な事業であることについて話したんだ」「すると、彼はその話を全て丁寧に聞いた後に"実は私自身、ケープ・ケネディで働いていたんだよ"と話してくれた。そこで、アポロの発射を実際に見たのかと聞いてみると"見てはいないが、そこに居ました。ただ、実際には見ていない"と彼は答えた」「その時私は、多分彼は地下の掩体壕にでも居たのだろうと思っていた。しかし、帰り際に名刺を交換し、彼が席を立った後に名前を見てみると、そこには"キャプテン・ジェームズ・ラヴェル"と書かれていた…。私がレストランの向こう側へ去る彼に向けて大声で"アポロ13号!"と叫ぶと、彼は振り返って"そうだよ!"と答えたんだ!」「とても恥ずかしい思い出でもあるが、それ以来、彼とは友人になった」

本当の宇宙旅行者ジェームズ・ラヴェル(アポロ13号の船長)からの手紙が、アンダーソンのオフィスに飾られている。
あらすじ
第1シーズン

1999年9月13日(月曜日)、に廃棄された不要核物質が何年も経過するうちに電磁エネルギーを蓄積しており、隊員の脳障害やシステムの破壊を引き起こしていた。ある日、ついに、第1廃棄地区、続いて第2廃棄地区が爆発し、これが巨大なロケットの役割を果たして、月は脱出速度を得て地球の衛星軌道を外れ、のみならず太陽系を飛び出して自由浮遊惑星となり、深宇宙へと暴走し始める。

月基地「ムーンベース・アルファ」は外宇宙の様々な脅威にさらされるが、コーニッグ指揮官のリーダーシップとアルファ隊員の努力によりそれらを克服し、安住の地を求めて無限の宇宙をさ迷う。ただ、危機を乗り越えるたびに人命が失われていった。

「ムーンベース・アルファ」の生命維持のためのエネルギーや食料は有限で、いつまでもアルファにとどまることは全滅を意味した。


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