スペースシャトル計画
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この項目では、米国のスペースシャトルの計画について説明しています。スペースシャトルの機体を中心とした記事については「スペースシャトル」を、ソビエト連邦の類似した計画については「ブラン計画」をご覧ください。

スペースシャトル計画
全体像、チャレンジャー
期間1981年 - 2011年
目標再使用型宇宙往還機の長所の利用
主要な仕事衛星の打ち上げや、宇宙ステーションとの接続
損失チャレンジャー 1986年、コロンビア 2003年
組織NASA
その他最初の航空機型再使用型往還機

スペースシャトル計画(英語: Space Shuttle program)は、アメリカ政府とNASAによって1981年から2011年にかけて行われた有人打ち上げ機計画。宇宙輸送システム (Space Transportation System, STS) とも呼ばれた。スペースシャトルは垂直に打ち上げられる機体の総称であり、オービタと呼ばれる航空機型の機体が再突入に利用される搭乗部分である。4 人から 7 人で運用でき、8 人までを収容可能で、22,700 kgペイロード低軌道まで輸送可能であった。宇宙でのミッションが完了すると、制御システム (Orbital Maneuvering System, OMS) を利用して軌道から外れ、地球の大気圏に再突入した。着陸まで、オービタは軌道制御システムと動翼を利用しグライダーのように飛行した。

シャトルは同じ機体で打ち上げ、軌道周回、着陸を何度も行った唯一の再使用型有人宇宙往還機であった。ミッションでは国際宇宙ステーション (International Space Station, ISS) のモジュールを含む大量のペイロードをさまざまな軌道に運び、国際宇宙ステーションへの人員輸送ローテーションを担い、修理ミッションが行われた。稀ではあるが衛星や他の宇宙機を軌道上で回復させたことや、衛星を地上へ持ち帰ったこともある。特に、ハッブル宇宙望遠鏡はシャトルの打ち上げによって5度にわたり補修されている。スペースシャトルの再使用部分の核となるオービタは 100 回使用、10 年運用を基準に設計された。

開発は1960年代の後半からスタートし、1970年代からNASAの有人宇宙飛行計画の中心となり、1981年の4月12日にコロンビア号STS-1 での初飛行によって開始された。その後チャレンジャー号爆発事故コロンビア号空中分解事故での中断があったものの、シャトル・ミール計画、ISS 計画など宇宙への有人輸送の中心であり続けた。ビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーションによって、スペースシャトルは ISS の組み立て完了の2011年にあわせて引退することとなり、2011年7月のアトランティス号による STS-135 での着陸によって締めくくられた。スペースシャトル計画は2011年8月31日に公式に終了した[1]。NASA はシャトルをオリオン宇宙船に置き換えることを計画しているが、予算カットによって完全な形態での開発は疑われている[2]
構想と開発初期の様々なコンセプト

1969年アポロ11号の月面着陸以前から NASA はスペースシャトル設計の初期研究を始めていた。1969年、リチャード・ニクソン大統領副大統領スピロ・アグニューを議長としてスペース・タスク・グループ(英語版)を組織し、この組織はそれまでのシャトルの研究を査定し、スペースシャトル製造を含む国家宇宙戦略を推薦した[3]。NASA から議会に提出された目標は、NASA 以外にも国防総省、商用や科学的利用者にも利用される宇宙へのより安上がりな手段を提供することであった[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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