スペースシャトル・チャレンジャー
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Challenger
OV-099
STS-7のチャレンジャーの打ち上げ
型名OV-099
アメリカ合衆国
契約1979年1月1日
名の由来HMS チャレンジャー
現況1986年1月28日に事故で喪失
初飛行STS-6
1983年4月4日 ? 1983年4月9日
最終飛行STS-51-L
1986年1月28日
ミッション数10回
宇宙飛行
総時間62時間 07:56:22[1]
軌道数995周
飛行距離25,803,939 マイル
輸送衛星10機
チャレンジャーの打ち上げ。爆発事故直後の写真。

スペースシャトル・チャレンジャー(英語: Space Shuttle Challenger, NASA型名 STA-099およびOV-099)は、スペースシャトル・オービターのひとつ。2号機のコロンビアに続く機体だが、滑空試験機エンタープライズと同時に製造された地上試験機を改造しているため、コロンビアより早い時期に製造されている。名前の由来は1872年から1876年にかけて探検航海を行ったイギリス海軍コルベット チャレンジャー号(HMS Challenger)から。

初飛行は1983年4月4日STS-6。9回のミッションを成功させた。
事故による喪失詳細は「チャレンジャー号爆発事故」を参照

10回目のフライトであるSTS-51-Lで打ち上げ73秒後に空中爆発し、機体は分解して大西洋へ墜落した。クルーには日系人エリソン・オニヅカ、初の民間人宇宙飛行士で高校教諭クリスタ・マコーリフ、二人目のアフリカ系アメリカ人宇宙飛行士ロナルド・マクネイアらが搭乗して大きな注目を集めていたが、全員が死亡した。この事故はスペースシャトル計画に大きな影響を与えた。
ミッション

年月日任務名備考
1983年4月4日STS-6TDRS-1 を軌道投入。スペースシャトル計画における初の宇宙遊泳
1983年6月18日STS-7サリー・ライドがアメリカ人初の女性宇宙飛行士となる。2つの通信衛星を軌道投入。
1983年8月30日STS-8初のアフリカ系アメリカ人宇宙飛行士ギオン・ブルーフォードが搭乗。
初の夜間打ち上げ・夜間着陸。Insat-1B を放出。
1984年2月3日STS-41-Bブルース・マッカンドレス2世が初の命綱なしの宇宙遊泳を行った。2つの通信衛星を軌道投入するが失敗。
1984年4月6日STS-41-Cソーラーマックス太陽観測衛星の修理
1984年10月5日STS-41-G初めて2名の女性が参加する。キャサリン・D・サリバンはアメリカ人女性として初の宇宙遊泳を行った。Earth Radiation Budget Satelliteを放出。また、ソ連の迎撃レーザー施設Terra-3から低出力のレーザー照射を受けるという事件が起きた。
1985年4月29日STS-51-BSpacelab-3 を運搬
1985年7月29日STS-51-FSpacelab-2 を運搬
1985年10月30日STS-61-Aドイツの Spacelab D-1 を運搬
1986年1月28日STS-51-Lチャレンジャーは打ち上げ73秒後に爆発し、全7名の宇宙飛行士が死亡した。

ミッションとトリビュートの記章スペースシャトルチャレンジャーのNASAオービタートリビュート

Mission insignia for Challenger flights


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