スペンサー・パーシヴァル
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イギリス政治家スペンサー・パーシヴァルSpencer Perceval

生年月日1762年11月1日
出生地 グレートブリテン王国メイフェア
没年月日 (1812-05-11) 1812年5月11日(49歳没)
死没地 イギリス、ロンドン
出身校ハーロー校
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ
リンカーン法曹院
所属政党トーリー党
第21代 イギリス首相
在任期間1809年10月4日 - 1812年5月11日
国王ジョージ3世
財務大臣
在任期間1807年3月26日 - 1812年5月11日
元首ジョージ3世
ランカスター公領担当大臣
在任期間1807年3月30日 - 1812年5月11日
元首ジョージ3世
庶民院議員
選挙区ノーサンプトン選挙区(英語版)
在任期間1796年5月9日 - 1812年5月11日
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スペンサー・パーシヴァル閣下(Hon. Spencer Perceval KC, 1762年11月1日 ? 1812年5月11日)は、イギリス政治家庶民院議員(在任:1796年 ? 1812年)、法務次官(英語版)(在任:1801年 ? 1802年)、法務長官(在任:1802年 ? 1806年)、財務大臣(在任:1807年 ? 1812年)、首相(在任:1809年 ? 1812年)を歴任した[1]

弁護士と庶民院議員としての演説で名声を得た後、法務次官と法務長官を経て、第2次ポートランド公爵内閣で財務大臣に就任した[1]。財政政策に目新しいところはなく、議会で批判が少ない程度の内容だったが[2]、機転が利き、人気を得ていたため、小ピット派が分裂していた最中の1809年にポートランド公爵が辞任したときに組閣の大命が下された[1]。首相在任中はワルヘレン遠征(英語版)の失敗、摂政法問題、枢密院勅令(英語版)による貿易不況といった問題を乗り越え、内閣の基盤を固めたが、その矢先に暗殺された[1]。イギリス史上唯一の暗殺された首相である[3][4]

福音派を支持しており、これが宗教政策への態度に影響を与えた[2]
略歴
生い立ち父の第2代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァル(英語版)。トマス・ハドソン画、1759年。トリニティ・カレッジでの指導者ウィリアム・ロート・マンセル(英語版)、1815年ごろ。

アイルランド貴族の第2代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァル(英語版)(1711年2月24日 ? 1770年12月20日)と2人目の妻初代アーデン女男爵キャサリン・パーシヴァル(1731年6月4日 ? 1784年6月11日、チャールズ・コンプトン閣下の娘、第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンの孫娘[5])の間の次男(異母兄を含めると七男)として、1762年11月4日にロンドンのオードリー・スクエア(Audley Square)にある父の邸宅で生まれた[6][1]。パーシヴァル家は弁護士や政治家、軍人を多く輩出した一族であり[7]、父もプリンス・オブ・ウェールズ(王太子)フレデリック・ルイスの側近であったが、スペンサーが10歳のときに亡くなった[8]。貴族の次男以降で社会階級と比べて貧乏であり、父が政治家としてそれほど高評価ではなかった上、早くに亡くなったため、首相のような高位の官職の候補者とは考えられていなかった[9]

幼少期をチャールトンで過ごした後[1]、1774年から1779年までハロウスクールで教育を受けた[9][10]。ハロウスクールでは学内の賞をとり、「漫然たる読書」を避け、教科書を正確に理解したと教師から評価された[2]。1780年1月14日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1782年にM.A.の学位を修得した[11]。トリニティ・カレッジではウィリアム・ロート・マンセル(英語版)(のちブリストル主教(英語版))とトマス・マシアス(Thomas Mathias)が指導にあたり、パーシヴァルの勉学心が評価された[2]

パーシヴァルは同時代の政治家では珍しくキリスト教福音派を支持しており[3]、『オックスフォード英国人名事典』ではその理由を学生時代の友人に帰した[2]。たとえば、ハロウスクールで知り合い、生涯の友人となったダドリー・ライダー(英語版)(のち第2代ハロービー男爵、初代ハロービー伯爵)も福音派の1人だった[2]。ケンブリッジ大学では数少ないが影響力のある福音派の人物と親しく、そのうちの1人がアイザック・ミルナー(英語版)[2](1785年にウィリアム・ウィルバーフォースを福音派に転向させたことで知られる[12])だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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