スペルトコムギ
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スペルトコムギ

分類APG III

:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperms
階級なし:単子葉植物 Monocots
階級なし:ツユクサ類 Commelinids
:イネ目 Poales
:イネ科 Poaceae
亜科:イチゴツナギ亜科 Pooideae
:コムギ連 Triticeae
:コムギ属 Triticum
:スペルトコムギ T.spelta

学名
Triticum spelta
L.
シノニム


Spelta vulgaris Ser.

Triticum arias Clemente

Triticum elymoides Hornem.

Triticum forskalei Clemente

Triticum palmovae G.I.Ivanov

Triticum rufescens Steud. nom. inval.

Triticum speltiforme Seidl ex Opiz

Triticum speltoides Flaksb. nom. inval.

Triticum zea Host

Zeia spelta (L.) Lunell
[1]

スペルトコムギ(スペルト小麦、学名: Triticum spelta)は、約7千年前に栽培されだした小麦の一種である。スペルト小麦は青銅器時代から中世にかけてヨーロッパの多くの地域で主食となっていた。現在では中央ヨーロッパスペイン北部で遺存種として残っており、健康食品として市場を拡大しつつある。スペルト小麦(左: 脱穀後、右: 脱穀前)
進化

スペルトコムギ(AABBDDゲノム)は遺伝子解析によれば、自然発生的にエンマー小麦などの4倍体の栽培用小麦(AABBゲノム)と近東に自生しているタルホコムギ(DDゲノム)が交雑したものとされる[2]。9,000年前には中東で栽培が行われていた[3]

遺伝的にはパンコムギ(AABBDDゲノム)とエンマーコムギの交雑によっても生じるが、この交雑までに4倍体の小麦とタルホコムギが交雑しなければならない。しかし、ヨーロッパではスペルト小麦の出現が遅く、パンコムギとエンマーコムギの交雑により生じた可能性がある。近年のDNA解析では、パンコムギとエンマーコムギの交雑によりヨーロッパでスペルト小麦が現れたことを裏付けている[4][5]しかし、完全にアジアとヨーロッパのスペルト小麦が別々の起源をもつか、近東に単一の起源をもつかはわかっていない[4][6]
歴史

ギリシャ神話では、スペルト小麦は女神デーメーテールからギリシャ人への贈り物であった[7]。紀元前5千年紀のスペルト小麦の痕跡が南コーカサス黒海北東岸で見つかっている。また、ヨーロッパではスペルト小麦に関する記録が多く残っている[8]。 中央ヨーロッパでは後期新石器時代(紀元前2500年 - 紀元前1700年頃)のスペルト小麦の痕跡が見つかっている[8]。青銅器時代にはヨーロッパ全土へと広まり、鉄器時代にはドイツ南部やスイス、紀元前500年ごろにはブリテン島で一般に栽培されていた[8][9]

古代ローマにおいて結婚式において新郎と新婦がスペルト小麦のケーキを分かち合っていた[10]。また、古代ローマ人はスペルト小麦が炭水化物を多く含んでいることから「進軍の穀物」と呼んでいた[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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