スペルトコムギ(スペルト小麦、学名: Triticum spelta)は、約7千年前に栽培されだした小麦の一種である。スペルト小麦は青銅器時代から中世にかけてヨーロッパの多くの地域で主食となっていた。現在では中央ヨーロッパやスペイン北部で遺存種として残っており、健康食品として市場を拡大しつつある。スペルト小麦(左: 脱穀後、右: 脱穀前) スペルトコムギ(AABBDDゲノム)は遺伝子解析によれば、自然発生的にエンマー小麦などの4倍体の栽培用小麦(AABBゲノム)と近東に自生しているタルホコムギ(DDゲノム)が交雑したものとされる[2]。9,000年前には中東で栽培が行われていた[3]。 遺伝的にはパンコムギ(AABBDDゲノム)とエンマーコムギの交雑によっても生じるが、この交雑までに4倍体の小麦とタルホコムギが交雑しなければならない。しかし、ヨーロッパではスペルト小麦の出現が遅く、パンコムギとエンマーコムギの交雑により生じた可能性がある。近年のDNA解析では、パンコムギとエンマーコムギの交雑によりヨーロッパでスペルト小麦が現れたことを裏付けている[4][5]しかし、完全にアジアとヨーロッパのスペルト小麦が別々の起源をもつか、近東に単一の起源をもつかはわかっていない[4][6]。 ギリシャ神話では、スペルト小麦は女神デーメーテールからギリシャ人への贈り物であった[7]。紀元前5千年紀のスペルト小麦の痕跡が南コーカサスや黒海北東岸で見つかっている。また、ヨーロッパではスペルト小麦に関する記録が多く残っている[8]。 中央ヨーロッパでは後期新石器時代(紀元前2500年 - 紀元前1700年頃)のスペルト小麦の痕跡が見つかっている[8]。青銅器時代にはヨーロッパ全土へと広まり、鉄器時代にはドイツ南部やスイス、紀元前500年ごろにはブリテン島で一般に栽培されていた[8][9]。 古代ローマにおいて結婚式において新郎と新婦がスペルト小麦のケーキを分かち合っていた[10]。また、古代ローマ人はスペルト小麦が炭水化物を多く含んでいることから「進軍の穀物」と呼んでいた[11]。
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