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出典検索?: "スペクトラム" 日本のバンド
スペクトラム
(SPECTRUM)
出身地 日本
ジャンルブラス・ロック、フュージョン
活動期間1979年 - 1981年
レーベルビクター音楽産業
事務所アミューズ
メンバー新田一郎 Tp. Vo.
兼崎順一 Tp.
吉田俊之 Tb.
渡辺直樹 B. Vo.
西慎嗣 G. Vo.
奥慶一 Key.
岡本郭男 Dr.
今野拓郎 Per.(1980年 - 1981年)
旧メンバー菅原由紀 Per.(1979年 - 1980年)
スペクトラム(SPECTRUM)は、1979年から1981年まで活動した日本のジャズ、フュージョン、ブラス・ロックバンド。金管楽器(ブラス)をメインにした日本で初めてのロックバンドである[1]。デビューから解散までアミューズに所属していた。メンバーの一部は、後にBLUFFに参加している。
来歴
伊丹幸雄のバックバンド「ロックンロールサーカス」、次にあいざき進也のバックバンド「ビート・オブ・パワー」と経て、キャンディーズのバックバンドとなった「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」。そのMMPから独立してトランペット奏者の新田一郎、兼崎順一とサックス奏者の中村哲が作ったユニット「ホーン・スペクトラム」(バンド名の由来)。1978年4月4日に後楽園球場で行われたキャンディーズ「ファイナルカーニバル」の後、中村が脱退することになった際に、自分たちも何かやりたいと考えた新田と兼崎が、MMPのベーシストだった渡辺直樹と合流し、他のメンバーを勧誘して1979年結成。同年5月12日から6月8日にかけてアメリカ・ロサンゼルスでデビューアルバムのレコーディング。7月22日西武球場(当時)で行われた'80S JAM OVER JAPANが初お披露目となり、ライブのオープニングを飾った。8月25日にデビューシングル「トマト・イッパツ」とアルバムSPECTRUMを発売。同時に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』番組内のチャリティーコンサートに出演した。
トランペット奏者の新田一郎が中心になって結成されたバンドであり、ブラスの音が鳴り響くEW&F風なサウンドと、新田のファルセットボーカル[2]、ギタリスト西慎嗣のロック系ボーカル、ベーシスト渡辺直樹のAOR系ボーカルの3人のボーカルが大きな特徴である。
「IN THE SPACE」がEW&Fに似すぎていたため「EW&Fもどき」「アースのモノマネ」などという批判も起きたが、実際はシカゴやブレッカー・ブラザーズの影響の方が大きいとみられ、特にリーダーの新田は「シカゴの1stアルバム1曲目である『イントロダクション』を聞いて人生が変わった」とラジオ番組で発言していた
1stアルバム『SPECTRUM』や2ndシングル「IN THE SPACE」[注釈 1]により、当初は吹奏楽に携わる若者や洋楽ファンを中心に、徐々にその存在が知れ渡っていった。コンスタントなライブ活動を続けながら、2ndアルバム『OPTICAL SUNRISE』や3rdアルバム『TIME BREAK』を制作。
その一方で、古代ローマの戦士を思わせる甲冑や北欧のバイキングをイメージした被りもの付きの派手なコスチュームを着用し、ギター、ベース、トランペット X 2、トロンボーンの5人が最前列に一列に並び、演奏しながら振り付けを合わせて踊るパフォーマンスのインパクトが強く、またメンバーの冗談好きもあって「色物系バンド」と誤解されることもあった。
4thシングル「SUNRISE」は、プロレスラーのスタン・ハンセンの入場曲として有名であり[注釈 2]、いまだに着メロなどの配信がある。
1981年7月5日新宿厚生年金会館(当時)のコンサート「SECOND NAVIGATION」で活動停止が発表され、同年9月22日の武道館ライブ「SPECTRUM FINAL CONCERT?世紀の哀しきブラスバンドクラブ」を最後に解散。
解散後
新田はソロ活動(兼崎がサポート)と作家活動と「ホーン・スペクトラム」としてのスタジオワークス(後に芸能プロダクション経営)、渡辺・岡本はAB'Sを結成(2003年再結成)するなど、活動の場を広げた。吉田はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント青山スタジオのレコーディング・エンジニアに転身した。奥は作・編曲家として、現在に至るまでアニメーション作品を始め、多数の楽曲を発表している。
1991年にオリジナルアルバム全6タイトルがCD化、メンバー自身(特に吉田)が作ったリミックス盤も発売された。
過去何度か再結成の噂が流れたが、解散後全メンバーが揃って公の場に現れたことは一度もない[注釈 3]。リーダーだった新田は、プレイヤーとしての活動を停止し芸能プロダクションの経営に専念していたが、そのプロダクションは2010年に消滅している。
トロンボーン奏者だった吉田は2006年頃からプレイヤーとしてのライブ活動を再開し、同年12月よりアマチュアミュージシャンを対象とした「"Brass Rock Spirits" Clinic for Rock & Funk Horns」という講習会を企画してスペクトラムの楽曲を実際に指導し、後進の育成にも乗り出している。さらに2007年より「Sax & Brass Magazine」にて連載も開始している。スペクトラムファンおよび元メンバーとの交流に最も熱心な存在となっている。
2006年9月22日、元メンバーの吉田、西、岡本、今野の4人がそのトリビュート・ライブにサプライズ・ゲストとして参加した(のちに元メンバーの吉田、岡本、今野が参加するブラス・ロックバンド「BLUFF」の結成のきっかけになったとされている)。
2009年8月23日、ファンの有志が企画した「デビュー30周年記念祭」というイベントが実施された。
2010年5月9日、兼崎の還暦記念ライブが行われ、元メンバーの吉田、西、岡本、今野、渡辺が参加。スペクトラム時代のナンバーも披露した。
2013年5月28日発売の『サックス&ブラス・マガジン vol.27』(リットーミュージック)において、スペクトラム特集が組まれた。新田、兼崎、吉田の3人のインタビュー記事、使用楽器紹介、ディスコグラフィ、ホーン・アレンジ&奏法分析、セッション参加作品選などの紹介。「トマト・イッパツ」「モーション」「サンライズ」のホーン譜の解説を、スペクター3号・吉田と現在共にブラスロックバンド・“BLUFF”で活躍する松木隆裕が寄稿している[3]。