スペウシッポス17世紀に想像で描かれたスペウシッポス
別名別名
生誕紀元前407年頃
ギリシア・アテナイ
死没紀元前339年
ギリシア・アテナイ
時代古代哲学
地域西洋哲学
学派プラトン主義とピタゴラス学派の調和
研究分野イデア論を捨てピタゴラス学派を研究
認識論、形而上学、倫理の研究
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想像で描かれたスペウシッポス(ニュルンベルク年代記)
スペウシッポス(希: Σπε?σιππο?、英: Speusippus、紀元前407年頃 - 紀元前339年)は、古代ギリシア・アテナイの哲学者、数学者。アテナイにアカデメイアを開いたプラトンの甥(プラトンの姉妹ポトネの息子)で、プラトンの死後に紀元前347年から紀元前339年にかけて第二代アカデメイア学頭を務めたことで知られる[1]。
アリストテレスが述べた「今の人々にとっては数学的諸学が哲学であることになってしまった」と言う言葉はスペウシッポスに向けたものだと言われ[2]、スペウシッポスがプラトンの後を継いで第二代アカデメイアの学頭になるとアリストテレスはアカデメイアを去ってしまった。
プラトンはイデア論を唱えていたものの、スペウシッポスが学頭になるとイデア論を排除し、プラトン主義とピタゴラス学派の調和を試みたが、数学的対象を第一義的な実在と解する点など、プラトン主義を離れてピタゴラス学派や数論へ傾倒したためにアリストテレスはアカデメイアを離れたとされる。
スペウシッポスの主張には、倫理学に於いて快楽はそれ自体悪であると説いたり[3]したが、現存するスペウシッポスの著作は断片的である。
最期は脳梗塞で亡くなった。
脚注・参考文献
脚注^ スペウシッポス