スペインの政党
スペイン共産党
Partido Comunista de Espana
書記長エンリケ・サンティアゴ
スペイン共産党(スペインきょうさんとう、スペイン語: Partido Comunista de Espana[2], 略称: PCE)は、スペインの左翼政党。1977年4月以降はユーロコミュニズムを理念とする政党である。1986 年以来「統一左翼」の一部となっており、「スペイン共産党」としての国会議席は持たない。2023年時点では、下院にて「ウニダス・ポデモス(ポデモス連合)」として議席をもっている。 1922年3月、前年1921年4月にスペイン社会労働党(PSOE)から分かれたグループによって結成された。1936年2月の総選挙で共産党と社労党及び他の左翼政党、中道勢力が連合して人民戦線を結成、勝利し、政権を担ったが、人民戦線政府に反発した大地主や貴族を中心とした右派・保守勢力の支持を受けた軍部が蜂起、内戦が勃発した(スペイン内戦)。 当初、共和政府側(人民戦線)が優勢だったものの、内戦中にスターリンによるソ連共産党と親ソ派が共和主義者などの非親ソを「トロキスト」として粛清した。スペイン共産党は親ソ政党であり、同党創設者で反スターリニズム思想から離脱したアンドレウ・ニンらの共産主義党派マルクス主義統一労働党(POUM)を弾圧に貢献した人民戦線側であった[8]。 スペイン内戦で勝利したフランコによる独裁体制下ではスペイン共産党は非合法化された。そのため、幹部らは国外へ移住した[9]。後にユーロコミュニズムを主導するサンティアゴ・カリーリョは1960年1月にソ連衛星国であるチェコ社会主義共和国のプラハで開催されたスペイン共産党第6回大会において、「第6代スペイン共産党書記長」に選出されている[9]。フランコが1975年に死去した後に即位したフアン・カルロス1世の下で民主化がされ、自由民主主義の選挙制度も再開することとなった[9]。
概要
スペイン内戦中のソ連と親ソ連派による「非ソ連派」粛清
スペイン内戦後