スペインの国章
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スペインの国章

詳細
使用者スペイン
採用1981年10月5日
クレストスペイン王冠
Quarterly: Castile, Leon, Aragon, and Navarre; ente en point: Granada; inescutcheon Bourbon (Anjou Branch)
サポーターPillars of Hercules with a top of supporters: Dexter An Imperial crown (Holy Roman Empire, Austrian version); Sinister A Spanish Royal crown
モットー古仏: Plvs Vltra
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スペイン国章(スペインのこくしょう Escudo de Espana)は、フランコ総統統治下の国章から変更され、1981年に制定された[1]。この国章はスペイン国旗にも描かれている。

スペインの国章は盾の中にそれぞれスペイン王家、スペインの王冠、立憲君主制を表すシンボルが描かれている。そしてその盾を支えるサポーターとして、スペインの歴史・地理的な情勢を象徴するヘラクレスの柱が使われている。
特徴

スペインの国章は、以下の歴代国章のシンボルとスペインに関係するシンボルで成り立っている。

スペインの歴代王国の国章スペインに関係する紋章

紋章国名詳細
カスティーリャ王国盾の左上
地はギュールズ(赤)。3本の塔を持つ城が描かれている。城の地はオーア(金色)。縁取りはセーブル(黒)、窓はアジュール(青)。
レオン王国盾の右上
地はアージェント(銀色)。ランパントと呼ばれる体勢で、金の冠をかぶったパーピュア(紫)のライオンが描かれている。はギュールズ。
アラゴン王国盾の左下
地はオーア(金色)。に4本のギュールズ(赤)の縦線。
ナバラ王国盾の右下
地はギュールズ(赤)。 オーア(金色)のチェーン状の十字(クロス)、X字(サルタイアー)、縁取り(オール)が描かれている。中央にヴァート(緑色)が入る。
グラナダ王国盾の下部
地はアージェント(銀色)。ザクロの実と葉が描かれている。

紋章紋章の意味詳細
ブルボン家
アンジュー公)盾の中央
地はアジュール(青)。ボーデュア(縁取り)はギュールズ(赤)。オーア(金色)のフルール・ド・リスが3個描かれている。
ヘラクレスの柱サポーター
両脇にあるサポーターは、ジブラルタル海峡の古い呼び名。そのモットーであるPlus Ultra(プルス・ウルトラ)は、ラテン語で「さらに彼方へ」の意味。
王冠神聖ローマ帝国
オーストリア)左サポーター上部
スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の王冠。
スペイン王の王冠盾と右サポーター上部
金と宝石、8個のバラ飾り(図では5個)、真珠、ダイヤモンドで飾られ、頂点には球と十字架が設置されている王冠。

上記デザインは以下の文書によって規定されている。

Act 33/1981, dated 5th October, on the Coat of Arms of Spain (Official Gazette no 250, dated 19th October)

Royal Decree 2964/1981, dated 18th December, approving the official Coat of Arms of Spain (Official Gazette no 221, dated 15th September)

Royal Decree 2267/1982, dated 3rd September, technically specifying the colours of the Arms of Spain (Official Gazette no 221, dated 15th September)

スペインの紋章に使用される色彩

パントン xxxパントン 186パントン 877パントン 872パントン 3415パントン 2935パントン 218パントン 1345
黒赤銀金緑青紫ザクロ
        


国章の歴史

カトリック両王の時代から1873年第一共和政開始に至るまで、スペインの国章は王の紋章と同義と見なされてきた。国章と王家の紋章は近接に結びついていき、歴史が下り異なる政体になっても、これらの意匠は形を変えて使われ続けた。
トラスタマラ家(1479年 - 1504年)1492年以降のカトリック両王の紋章

1479年、アラゴンとカスティーリャの合併によってスペイン王国が誕生し、カトリック両王(イサベル1世フェルナンド2世)が共同で統治を行った。この2人の紋章の特徴は以下の通りである。

盾の左上と右下はカスティーリャとレオンの国章を組み合わせたもの。

右上と左下はアラゴンとシチリアの国章を組み合わせたもの。

盾の上には王冠が載せられ、ヨハネの鷲の胸の位置に置かれている。

盾の下部のザクロは、1492年のグラナダ奪還後に付け加えられた。

フェルナンド2世はしばしば違うデザインの紋章を用いた。そのデザインはティアスト・パー・ペイルの形式で左からカスティリャとレオンの国章、アラゴンとナポリとシチリアの国章、アラゴンの国章の順で組み合わせたものである。ナバラの併合後、フェルナンド2世の出身地であるレイ・カトリコの紋章の右上は、パー・ペイルの形式で左側にはアラゴンとナバラの国章、右上にはエルサレムハンガリーの国章をそれぞれパー・フェスの形式で組み合わせたものに変更された。

ナバラで1700年頃まで用いられた紋章はクォータリーの形式で以下のような紋章が入っていた。

左上と右下はさらに領域を4分割してカスティリャとナバラの国章を互い違いに組み合わせたもの。

右上はパー・ペイルの形式で左側はハンガリーとアラゴンの紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側はエルサレムの紋章。

左下はパー・ペイルの形式で左側はハンガリーとアラゴンの紋章をさらにパー・ペイルで並べたもの、右側はシチリアの国章。

下部にグラナダの国章。

アラゴンではカスティリャとレオンとアラゴンの紋章が組み合わさったものか、シチリア、アラゴン、ハンガリー、ナポリとエルサレムの紋章が組み合わされたものが紋章として使われた。ナポリでは、クォータリーの形式で左上と右下がカスティリャとレオンの組み合わせ、右上がアラゴンとエルサレムとハンガリーの組み合わせ、左下がアラゴンとシチリアの組み合わせになったものが紋章として使われた。
スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)フェリペ1世の紋章

イザベル1世の死後、フェリペ1世(フィリップ美公)は即座に自らの権利を主張し、カスティーリャ王を僭称した。その際、カトリック両王の紋章を自らの紋章に取り込んだ。彼の紋章の成り立ちはクォータリーの形式で以下の通り。

左上と右下はカトリック両王の紋章。

右上と左下はグランド・クォータリーの形式で左上にオーストリア、右上に古代ブルグント王国の紋章、左下にブルゴーニュ公国、右下にブラバント公国の紋章。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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