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スプートニク計画(スプートニクけいかく)は1950年代後半に旧ソ連によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星の計画である。スプートニク (Спутник, Sputnik) という言葉の原義は、ロシア語で「付随するもの」という意味。それが転じて、「衛星」もしくは「人工衛星」を意味するようになった。
スプートニクはどれもR-7型ロケットによって軌道上に打ち上げられた。これは、元々は弾道ミサイル打ち上げ用に設計・開発されたものである。これらの打ち上げ成功はソ連国民を勇気付ける一方、冷戦の相手であるアメリカ国民にショックを与え、宇宙開発競争の火蓋を切ることとなった。
なお、スプートニク3号まではソ連により正式に「スプートニク」と命名されたが、4号以降は正式名称ではなく、中には正式名称を知らなかった西側諸国により仮にスプートニクの連番で命名されたものもある。
スプートニク1号スプートニク1号詳細は「スプートニク1号」を参照
スプートニク1号は1957年10月4日に打ち上げられた、世界初の人工衛星である。重量83kg、直径58cmの球体に4本の棒状アンテナが付いている。遠地点約950km、近地点約230km、軌道傾斜角65°の楕円軌道を96.2分で周回した。衛星本体から40.02MHzと20.05MHzの電波を発信することで電離層の観測を行った。この電波は世界各地で受信された。スプートニク1号は打ち上げ57日後、大気圏に再突入し消滅した。
スプートニク・ショック詳細は「スプートニク・ショック」を参照
人工衛星打ち上げでソ連に先を越されたアメリカでは「スプートニク・ショック」が起こった。これは、アメリカが科学技術の分野で最先端であるという意識が、人工衛星打ち上げの事実により覆されたためである。その影響で、教育・軍事・科学技術部門の改革の必要性が認識され、アメリカ航空宇宙局(NASA:1958年)設立、アポロ計画(1961年)へとつながっていった。なお、アメリカ陸軍はスプートニクに対抗して、1958年1月31日にエクスプローラー1号(重量14kg)を打ち上げている。
スプートニク2号詳細は「スプートニク2号」を参照
スプートニク1号の打上げの1ヶ月後である1957年11月3日にスプートニク2号が打ち上げられた。スプートニク2号は生物を宇宙へと連れ出すことを目的とし、搭乗席(気密室)が備えられた。このため本体の重量は1号と比較して約6倍の 508kg となった。
史上初の宇宙船クルーとして“ライカ”または“クドリャフカ”という名の雌の犬が搭乗し、人類に先がけて宇宙を旅することになった。
スプートニク3号スプートニク3号詳細は「スプートニク3号」を参照
スプートニク3号は1958年2月3日、打ち上げ失敗。1958年5月15日、打ち上げ成功、重量約1327kg。地球物理学研究のための計測器を搭載。ただし、テープレコーダが故障し、バン・アレン帯の計測は失敗に終わった。
スプートニク4号詳細は「スプートニク4号」を参照
1960年5月15日、打ち上げ。正式名称は「コラブリ・スプートニク1号」。
スプートニク5号詳細は「スプートニク5号」を参照
1960年8月19日、打ち上げ。正式名称は「コラブリ・スプートニク2号」。犬2頭、ネズミ40匹、ラット2匹、その他いろいろな植物を積んでいた。宇宙船は翌日回収され、動物たちは全て無事帰還した。
西側諸国による仮名称としてのスプートニク
スプートニク6号 - コラブリ・スプートニク3号(英語版)の西側諸国による名称。
スプートニク7号 - Tyazhely Sputnikの西側諸国による名称。
スプートニク8号 - ベネラ1号の西側諸国による名称。
スプートニク9号 - コラブリ・スプートニク4号(英語版)の西側諸国による名称。
スプートニク10号 - コラブリ・スプートニク5号(英語版)の西側諸国による名称。
スプートニク11号 - コスモス1号の西側諸国による名称。