スプリット・シングル_(内燃機関)
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この項目では、内燃機関について説明しています。音楽媒体については「スプリット盤」をご覧ください。
第二次世界大戦戦後に設計されたプフ社製エンジンのカットモデル。キャブレターは前方のエキゾーストパイプの下部に置かれる(この写真では写っていない)。掃気ポートはシリンダー後方に写っている。メインのコネクティングロッドにもう片方のピストンのサブコンロッドがピギーバック接続されている。行程のアニメーション
右に吸気、左に排気ポート。吸・排気行程が時間差で進行。

スプリット・シングル(: split-single)とは、2ストローク機関のうち、二つのシリンダーが一つの燃焼室を共有する方式である。ドイツオーストリアではDoppelkolbenmotorと呼ばれ、日本ではU型気筒エンジン、U型燃焼室エンジン、ダブルピストンエンジンなどと呼ばれる。
概要

スプリット・シングルには単気筒(シリンダー2本)と2気筒(シリンダー4本)が存在し、幾つかの重要な内部構造の発展があった。そうした改良の結果、一部のオートバイではキャブレターはエンジン前方のエキゾーストパイプの下に移動し、独特の外見を呈するようになった。産業用エンジンとしてはV型4気筒[1]製造された記録も残っている。

スプリット・シングルのシステムは、掃気ポートと排気ポートが前後のボアに分離して配置されていることが特徴で、混合気は1つめのシリンダーから燃焼室に至り点火プラグで点火され、排気ガスはもう一方のシリンダーを下って露出した排気ポートから掃気される[2]。スプリット・シングルの「新気と排気の流れが1方向で、掃気が確実に行える」という構造上の特徴は、ユニフロー掃気ディーゼルエンジンと同様のユニフロー掃気式2ストロークエンジンと捉えることもできる。また、ないし双ピストン型2ストロークガソリンエンジンという分類も考えられる。[3]ユニフロー掃気は一般的な2ストロークエンジンで用いられるクロス掃気(横断掃気)やループ掃気と比較して、排気ガスがシリンダー内に取り残される確率が減るため、高い掃気効率を得られる[4]利点がある。このように、スプリット・シングル2ストロークは複雑な構造に伴う重量と製造コストの増大と引き替えに、一般的な2ストロークよりも優れた経済性を実現し、小さなスロットル開度でもより良い回転も実現した[5]

この形式は60年の歴史の中で2つの重要な変化があった。初期のエンジンは単気筒で、Y形状若しくはV形状のコネクティングロッド(コンロッド)、単一の排気管とシリンダーの後方に配置されたシングルキャブレターを持ち、点火プラグは1本であったので、外見は普通の単気筒2ストロークエンジンと殆ど変わらなかった。レーシング仕様のエンジンは2本の排気管とツインキャブレターを持っていたので、一見すると直列2気筒と見間違われる事もあるかもしれないが、実際は内部には一対のボアと1つの燃焼室しか存在しなかった。量産エンジンのいくつかには1つの燃焼室に2本の点火プラグ(ツインプラグ)が配置される場合もあった。

第二次世界大戦、内部機構は更に洗練されて機械的信頼性が改善されると共に、キャブレターはボアの前方、排気管とシリンダー間の側面に配置されるようになった。この時期になるとアメリカ合衆国市場にも輸出されるようになり、輸入販売元のシアーズはツイングル (Twingle) と称していた。

スプリット・シングルは、2ストロークガソリンエンジンの掃気効率や充填効率が未成熟であった戦前から戦後間もなくまでは画期的な技術であったが、本質的な製造コストの高い機構であり、戦後に東ドイツのウォルター・カーデンの手によりエキスパンション・チャンバー(排気チャンバー)の技術体系が大成され、従来型のエンジン本体側もポートの改良によってループ掃気の技術が成立すると、スプリット・シングルの優位性は次第に失われていき、1970年にプフがこの形式のエンジンの生産を停止したのを最後に、採用するメーカーは無くなった。
内部構造の違い

スプリット・シングルは原則としては2つのシリンダーが1つの燃焼室を共有し、掃排気の流れが単一方向の物を示すが、内部構造により大きく3つに分類される。

1つは戦前のガレリや独トライアンフ (TWN) に見られるような、コンロッドが小端部分でY形状となり並列に2つのピストンが接続されるもの[2]で、単気筒エンジンのシリンダーを2分割したような構成である。戦前のトロイ製自動車エンジンやプフはコンロッド大端部からV形状とし、直列に2つのピストンが接続される物を採用したが、DKWや戦後のプフはコンロッドの大端部分付近にリンク機構を設けてV形状に分割(ピギーバック接続)する事で、トロイでの課題であったコンロッドの撓りを軽減して耐久性と信頼性を向上させる事にも成功した。この形式はU型気筒エンジンと呼ばれる。

もう1つは戦前のTWNの試作エンジンや、イギリスのフレデリック・ランプロウのV型4気筒エンジンに見られるような、2つのピストンがそれぞれ独立したコンロッドを持つ、並列2気筒エンジンの燃焼室を共有したような構成[6]

最後の1つが、イギリスのバルブレス製自動車エンジンに見られるような、2つのピストンがそれぞれ独立したクランクシャフトを同調して回転させる、タンデム2気筒の燃焼室を共有したような構成である。

後者2つはU型燃焼室エンジンとも分類される形式であるが、上記いずれの構成でも1対のピストンが明確に2組以上存在するエンジン以外は、全て単気筒として取り扱われる。
歴史
ガレリによる発明(1912年)

最初のスプリット・シングルの特許を取得したのは1912年イタリア人技術者のアダルベルト・ガレリであった。彼の会社であるガレリ・モーターサイクルは公道用とレース用のオートバイで使用する為の、346 cc単気筒エンジンを開発した。彼のデザインでは2つのピストンが並列配置(サイド・バイ・サイド)され、2つのボアが収まるシリンダーは単なる一体鋳造ではなく、冷却性向上の為に左右ボアの間にはスリットが設けられた。最大出力は3馬力、最高速度は80km/hであった[7]。このエンジンはガレリが軍需産業に傾注する1926年まで生産された。ガレリ・モーターサイクルは今日でもイタリアにおける主要なメーカーであるが、この形式のエンジンを再度開発し、販売する事はなかった[8]
トロイによる発明(1913年)

今日ではスプリット・シングルに分類されるトロイの2ストロークエンジンは、1913年にイギリスのトロイ・カーによって独自に発明された。写真は1927年直列2気筒モデルで、ロンドンサイエンス・ミュージアムカットモデルが展示されている[9]。このエンジンは180度クランクを持つ並列2気筒で排気量1488 cc、最大出力は12.3馬力/900 rpmだった。前後直列にピストンが並べられたシリンダーレイアウト (fore-and-aft) は、V形状コンロッドが回転の際に僅かに屈曲する事を意味していた。ドイツやオーストリアのオートバイ用エンジンと異なり、このエンジンは水冷であった。
フレデリック・ランプロウ(1910年代前半)ランプロウのV4エンジン内部構造図

ケネディ・ランキンが1905年にイギリスで発行した「The Book of Modern Engines and Power Generators」の第五刷(1912年版)には、イギリス人技術者フレデリック・ランプロウが産業機械向けエンジンとして開発したV型4気筒エンジンが掲載されている。このエンジンは一般的なV型エンジンと異なり、90度のシリンダーバンクの片側が独立したコンロッドを有するスプリット・シングル、もう片側が掃気用シリンダーとなっており、3本のコンロッドが1つのクランクピンを共有する1気筒3ピストンエンジンの構成である。このような形式はクランクケース内で新気を圧縮する必要がない為、潤滑系統を4ストローク機関と同様の構造に出来る長所がある。
バルブレス(1910年代中盤)1919年に描かれたバルブレス製自動車エンジンの動作サイクル。バルブレスエンジンのアニメーション

1908年から1915年に掛けて英国ウェスト・ヨークシャーハダースフィールドに存在した零細自動車メーカー、バルブレス(英語版)もスプリット・シングルを製造していた記録が残る。


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