スプラッター映画
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出典検索?: "スプラッター映画" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)

スプラッター映画(スプラッターえいが、splatter movie)とは、殺害シーンにおける生々しい描写に特徴のある、映画の様式のひとつである。大部分は広義のホラー映画に含まれるが(スプラッター的要素のまったく無いホラー映画は少なくない。また、ホラー映画をオカルトや超自然現象を描いたものとして狭義に限定すると、生身の殺人鬼や犯罪者を描いた、あるいはSFとしての設定を持つスプラッターものこれには含まれなくなる)、身体の一部が切断されてはね飛んだり、血しぶき(splash)が吹き上がったりするといった、誇張を含むあからさまな表現は、スプラッター映画独自のものといってよい。「スプラッター・ムービー」という呼称は1980年代に定着したものであり、1970年代以前は「ゴア・ムービー(Gore Movie)」という呼び方が多く用いられていた。
起源

1960年代アメリカハーシェル・ゴードン・ルイス監督が始祖となって作り上げたジャンルとされる。その後1970年代にイタリアのマリオ・バーヴァをはじめ、ジョージ・A・ロメロトビー・フーパーピート・ウォーカーデヴィッド・クローネンバーグダリオ・アルジェントウェス・クレイヴンショーン・S・カニンガムジョン・カーペンターなどによって基盤が創られると、1980年代に大ブームとなった。大量のスプラッター映画が製作され、多くの秀作や、いわゆる「B級作品」が誕生した。1990年代に突入すると衰退の時期を迎えたが、今日でもコンスタントにスプラッター映画は製作されている。
概要

スプラッターの元祖は19世紀末から20世紀初頭にフランスで流行したグラン・ギニョールという恐怖劇専門の劇場で上演された、血糊などを大量に用いた特殊効果による残酷な殺人描写を多く含んだ演劇にあるとされる[1]。グラン・ギニョールの恐怖劇は後にアメリカのECコミックと呼ばれるコミック誌の恐怖漫画に影響を与え、その荒唐無稽でグロテスクな残酷描写がスプラッター映画の原点であるとされる。

初期のサイレント映画では、D・W・グリフィス監督の『イントレランス』(1916年)では人体の切断シーンが描かれている他、『Haxan』(1922年)では拷問椅子に縛りつけられるシーンや釜で赤子が煮られるシーンがある。

映画における「スプラッター」の歴史は1963年にハーシェル・ゴードン・ルイス監督が『血の祝祭日』(Blood Feast,1963年)を発表したことから始まる。カルト宗教にとり憑かれた狂信的な肉屋が若い美女を次々に惨殺し解体する異常犯罪を描いた猟奇映画であり、くり抜かれる眼球、切り裂かれる舌、手足の切断、脳や内臓の抉り出しといった過激な残酷シーンをホラー映画において初めて直接的に描写した作品であった。

スプラッター映画の始祖とされるのはルイスだが、それ以前から恐怖映画において残酷表現が過激化する萌芽は存在していた。

スプラッター映画が発明される以前には、恐怖映画において「ショッカー」「ショック映画」と呼ばれるジャンルが存在した。主な作品としてはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『悪魔のような女』(1955年)、ジョルジュ・フランジュ監督の『顔のない眼』(1959年)、ヴィンセント・プライス主演の『肉の蝋人形』(1953年)、マイケル・ガフ主演の『黒死館の恐怖』(Horrors of the Black Museum,1959年)といった作品が「ショッカー」の代表作とされる[2]。これらの作品はスプラッター映画と呼べるほどの過激な流血描写が直接的に表現されているわけではないが、観客にショックを与える表現を重視したという点で、後のスプラッター映画の地ならしに近い役割を果たす。

また、映画評論家の児玉数夫による考えでは、1950年代にAIPが量産した『心霊移植人間』(I Was a Teenage Werewolf,1957年)、『怪人フランケンシュタイン/生きかえった死体』(I Was a Teenage Frankenstein,1957年)、『十代の陰獣』(Teenage Monster,1957年)といった「ティーンエイジ・モンスター・ホラー」映画の様式が、後のスプラッター映画に影響を及ぼしているとされる[3]
1960年代

1960年になると「ショッカー」「ショック映画」の系譜に連なる名作として、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)が登場。主演女優のジャネット・リーがシャワールームで惨殺される有名な「シャワーシーン」が世界に衝撃を与えた。(また、一般映画で初めてトイレを流すシーンを写したことも衝撃を与えた[4]。)ジャネット・リーの肌をナイフが直接切り裂く描写は見られないが、当時としては画期的と言えるほど過激な暴力描写が物議を醸した。この映画の殺人シーンが後のスプラッター映画につながっていったと見る意見は多い[5]。この作品はヒッチコックが、クルーゾー監督による『悪魔のような女』のショッキングな演出を超える恐怖を作り出したいとの意欲から製作されており、当時としては類のない新次元のショック映画を創出したとして評価されている。

また、『サイコ』と同じ1960年に公開されたマイケル・パウエル監督の『血を吸うカメラ』1960年)をスプラッターの元祖と見る意見もある。作家の都筑道夫は後年『血を吸うカメラ』を評して「おしゃれなスプラッター映画」と評価している[5]

同時期に、中川信夫監督の『地獄』(1960年)やマリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(1960年)が暴力的なシーンを直接的に描いた。

『サイコ』と『血を吸うカメラ』がきっかけとなって、世界的に精神異常者による猟奇犯罪を描いた「サイコスリラー」が流行。恐怖映画の分野で人気を博していたウィリアム・キャッスル監督が『第三の犯罪』(Homicidal,1961年)や『サイコ』の原作者ロバート・ブロックを脚本に招いた『血だらけの惨劇』(Strait-Jacket,1963年)を発表。巨匠として名高いロバート・アルドリッチ監督も恐怖映画に挑戦し、『何がジェーンに起ったか?』(1962年)と『ふるえて眠れ』(1964年)をヒットさせた。また、インディーズ映画からもジェームズ・ランディス監督による『サディスト』(The Sadist,1962年)などの異常心理を描いたスリラーが量産される。これらの作品は『サイコ』のシャワーシーンを超える衝撃を観客に与える効果を模索し、従来の恐怖映画よりも猟奇色を強めた作風を突き進めて行った。

また、英国の怪奇映画制作会社ハマー・フィルム・プロダクションもサイコ・スリラーに意欲的に参入。セス・ホルト監督の『恐怖』(Taste of Fear,1960年)やフレディ・フランシス監督の『恐怖の牝獣』(Nightmare,1964年)といった作品では猟奇色は控えめなミステリー・タッチによる知的なサスペンス劇として老舗怪奇映画会社の威厳を保ったが、一方で猟奇色を前面に出したジミー・サングスター監督の『惨殺!』(Maniac,1962年)のような作品も制作した。


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