スピードワゴン
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この項目では、お笑いコンビについて説明しています。コンビ名の由来の漫画の人物など、その他については「スピードワゴン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。

スピードワゴン
メンバー井戸田潤
小沢一敬
別名略称:SPW、スピワ、スピワゴ、ワゴン
ハンバーグ師匠(井戸田)
結成年1998年
事務所ホリプロコム
活動時期1998年 - 2023年
出身NSC名古屋校2期
出会い名古屋吉本
旧コンビ名小沢と井戸田
マグニチュード(井戸田)
バツイチほか(小沢)
現在の活動状況活動中(井戸田)
活動休止中(小沢)
芸種漫才
コント
ネタ作成者小沢一敬
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
エンタの神様
スピードワゴンと裸の××アイドル
キャラ☆キング
熱血!平成教育学院
週刊AKB
NHK短歌
短歌de胸キュン
など
同期スギちゃん
ボルサリーノ
タカアンドトシなど
公式サイト ⇒公式プロフィール
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スピードワゴンのトレンドワゴン
YouTube
チャンネル

スピードワゴンのトレンドワゴン

活動期間2018年 -
ジャンルエンターテイメント
登録者数1,920人
総再生回数671万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
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スピードワゴンは、ホリプロコムに所属する井戸田潤と小沢一敬からなる日本のお笑いコンビ1998年12月結成。M-1グランプリ2002・2003、THE SECOND 2023ファイナリスト。2024年1月14日より小沢が無期限活動休止となり、現在は井戸田が単独で活動している。
メンバー詳細は「井戸田潤」および「小沢一敬」を参照

2人とも愛知県出身で、中日ドラゴンズファン。
井戸田 潤(いとだ じゅん、1972年12月13日 - )(51歳)
ツッコミ(コントによってはボケ)担当。愛知県小牧市出身。ハンバーグ師匠( - ししょう)名義での活動も行なっている。結婚歴は2度ある。
小沢 一敬(おざわ かずひろ、本名:小澤 一敬〈読み同じ〉1973年10月10日 - )(50歳)
ボケ(コントによってはツッコミ)・ネタ作り担当。愛知県知多市出身。愛称はセカオザ。独身。
来歴
コンビ結成前(吉本所属時代)

NSC名古屋校2期の同期として2人は出会う。1994年入学であるため、大阪校では13期のブラックマヨネーズ次長課長野性爆弾徳井義実チュートリアル)らが同期にあたる。名古屋吉本時代に井戸田は「マグニチュード」、小沢は「バツイチ」とそれぞれ別のコンビを組んでいた。共にランキングシステムの上位常連で、常に優勝を争う関係だった。吉本時代は新田敦生(よしもとエリアアクション副社長、当時は名古屋吉本の所長)の世話になり、ホリプロに移籍してからもラジオでの共演を経てプライベートでも親しくしている[1]

先に上京していた井戸田が、コンビ解散寸前だった小沢を誘って1998年にコンビ「小沢と井戸田」を結成。井戸田が大須に位置する小沢の自宅にトラックで押しかけ、そのまま上京させたというエピソードがある。

吉本では銀座7丁目劇場を拠点としていたが、同劇場が閉鎖直後に吉本側から「2人はお休みです」と言われ事実上仕事を干されてしまう。危機感を持った2人は他事務所のライブへの参加・ネタ見せなどを積極的に行い、その中でも高評価してくれたM2カンパニー(後のホリプロコム)への移籍を決意した。それに伴い、コンビ名を現在のものに改めた。なお吉本を退社する際、井戸田が吉本の事務所へ電話したところ対応した女性に「はいオッケーです」と言われて退社が決まった[2]
初の「M-1」決勝進出?「甘い言葉」でブレイク

2000年から『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)の常連出演者となり、2002年の『M-1グランプリ』では敗者復活戦からの決勝進出を果たす。決勝出場前の月給は3,000円だったが[注 1]、大会終了後はメディアへの露出が増えた影響で一気に100倍の額にまで跳ね上がったという[3]。また、2002年の『M-1』決勝出場前のネタ打ち合わせの際、井戸田が小沢へ「明日から忙しくなるよ」と声をかけたらしい[3]2004年、「甘い言葉」ネタで一躍ブレイクを果たす。
停滞期

2005年、井戸田が安達祐実と結婚して世間の耳目を集める。2006年にはキー局初の冠番組激あま?い』(TBSテレビ)が始まるも、一方でコンビでの新ネタを披露する機会は減少した。

井戸田の結婚生活は長く続かず、離婚後の未練タラタラぶりなどで好感度を下げていった。こうした私生活面をテレビで面白く語らなければならないこと、更には小沢がお笑いからめっきり遠ざかってしまったことなどが重なり、当時の井戸田は精神的にも相当疲弊していた。
再浮上?現在

2014年10月2日放送『アメトーーク!』(テレビ朝日)・「俺たちくされ縁芸人」において、2人の同期にあたる徳井義実チュートリアル)が小沢と共演。小沢の独特な感性を紹介したことで少しずつ小沢のキャラクター性が注目され始めた。これは翌年1月22日放送のフィーチャー企画「小沢という変人」へと発展、「SEKAI NO OZAWA」やそれを略した「セカオザ」の愛称が定着していった。こうして小沢の方も再び露出が増え、コンビとしての活動も盛んになった。

2015年、なごやめしPR大使に就任[4]
活動休止

2024年1月13日、小沢に関する週刊誌報道で混乱が続いていることから、小沢が自分の意志により活動自粛することを所属事務所が発表。これを受けて井戸田は、翌1月14日朝にスピードワゴンは無期限活動休止となることを発表した(井戸田ソロの仕事は継続する)[5]
芸風
漫才

2人のテンションと話術に裏打ちされた正統派のしゃべくり漫才が持ち味で[注 2]、クールでベタなボケと大声でテンションの高い独特なツッコミによるメリハリの効いた展開から「新感覚のポップ漫才」と称されることがある[6]
甘い言葉

小沢が甘い台詞を放ち、井戸田が「甘?い!」と絶叫するコント漫才。

コブラ』で交わされる洋画のような台詞に憧れていた小沢が、飲み会でふとこぼした言葉を女の子に「甘い」と言われ、そこに同席していた先輩の渡部建アンジャッシュ)が「これで漫才が書けるんじゃないか」とアドバイスしたことで完成したネタ。作りとしては謎かけと同じであるという[7]

エピソード
コンビ名の由来

小沢が荒木飛呂彦漫画ジョジョの奇妙な冒険』のファンであり、コンビ名は作中に登場する架空の人物・ロバート・E・O・スピードワゴン及びその人物が設立した財団の名称「スピードワゴン財団」に由来する。その縁で、2007年公開の映画『ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッド』にゲスト出演したものの構成上の理由から(元ネタの)スピードワゴンは登場していない。なお、コンビ名の候補は他に「ワイルドチョコレート」などがあった[8]
爆笑オンエアバトル

『爆笑オンエアバトル』には開始当初の1999年度から2003年度まで常連組として長きに渡って出場。同番組の黄金時代を支えた芸人の一組でもある[6][注 3]

初挑戦は1999年11月20日放送回で、293KBを記録し6位オフエアであった。なお、この回で披露したのはコントだった。ちなみに2回目の挑戦となった2000年2月5日放送回では漫才を披露したが、自己最低となる129KBを記録し10組中最下位となっている[9]

3回目の挑戦となった2000年5月20日放送回にて、初オンエア(365KB・4位)を果たす。披露したネタはコント「新入社員の研修」だった。なお小沢はオンエアが決定した瞬間に感極まって号泣しており、番組内でもその模様が取り上げられていた[9]

2002年度の半ばまではオンエアはするもののKB数が伸び悩んでおり、特に漫才を披露した回においては450KB以上を記録した回が一度も無かった(この時期まで、コントを演じた回においては二度450KB以上を記録)[9]。また出場初期は漫才・コントの両方を披露していたが、2002年度からは徹底して漫才のみを演じるようになる。漫才に徹してからは成績が安定していき、高得点を記録する機会が増えてきた。2002年8月24日放送回から2004年2月6日放送回まで7戦連続で450KB以上を記録している[9][注 4]

2002年度は3戦連続で470KB以上を記録するなど躍進、初のチャンピオン大会(第5回)進出も果たした。セミファイナルでは958KBを記録して1位通過を果たしたが、ファイナルでは一転して470KB(11組中10位)と低調に終わる[9]

2003年度は、この年の挑戦1発目となる回に番組内のオフエア歴代最高KBを記録する(後述)という椿事に見舞われるが、その後は史上初のオーバー500を達成[注 5]するなど危なげなく年間4勝を記録、2年連続でチャンピオン大会(第6回)に進出した。セミファイナルでは942KBを記録して3位で通過すると、ファイナルでも同じく942KBを記録[9]。しかし結果はアンタッチャブルにボール3個差で及ばず、チャンピオンを逃してしまった。彼らはこのチャンピオン大会ファイナルを以て番組を卒業する運びとなった。

オフエア歴代最高KB達成

2003年6月13日放送の長崎収録に出場。461KBを記録するものの、この回は
パンクブーブーが初挑戦で537KBを記録。彼らはパンクブーブーに押し出される様な形で6位オフエアとなってしまい[注 6]、高得点の裏で「オフエア最高記録」という珍記録を打ち立てる羽目となってしまった[注 7]。余談だが、彼らは裏でパンクブーブーを「絶対にオンエアしたよ」と励ましていた。

上述の通り本放送でオンエアは逃したが、後に『新・真夜中の王国』(NHK-BS2)のコーナー「爆笑?オフエアバトル」(2002年4月 - 2004年3月まで毎月第3月曜日に放送されていたコーナー)内で当時のネタがノーカットで放送されている。通常このコーナーは「オンバト」本編でオフエアとなった芸人のネタをダイジェストで放送するという内容のため、オフエアネタがノーカットで放送されるのは極めて異例であった(放送当時のナレーションでは「オフエアにするにはあまりにもったいない?」と紹介されていた[9])。

この「オフエア歴代最高KB」という珍記録は大きなインパクトを残し、2014年3月15日放送『オンバト最終章 チャンピオン大会直前 15年間ありがとうスペシャル』にスピードワゴンがゲストの一組として出演した際にも、「スピードワゴンの持つちょっと笑える番組記録」と題して番組内で触れられていた[10]

M-1グランプリ

2002年度の第2回大会にて初出場し、今大会より導入された敗者復活枠の記念すべき第1号を飾る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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