スパイ小説(スパイしょうせつ)は、スパイ活動をテーマとする小説(フィクション)のジャンルである。英語では「Spy fiction
」(スパイ・フィクション、 短縮して「Spy-fi」) 、 「political thriller」(ポリティカル・スリラー)、「spy thriller」(スパイ・スリラー)、フランス語では「Roman d'espionnage」(ロマン・エスピオナージュ)などと呼ばれる。スパイに対する一般の人々の関心が高まった契機はドレフュス事件(1894年 - 1906年)だった。スパイ・逆スパイの作戦を内に含んだこの事件は、ヨーロッパ主要国の政治の舞台の中心にあり、そのニュースは世界中に広く絶え間なく報じられた。ドイツ情報部の特務員たちがフランス軍内部にスパイを潜入させ、重要軍事機密を手に入れていたが、フランス軍情報部は掃除婦[注 1] にパリのドイツ駐在武官のくずかごからその証拠を捜し出させたという話に想を得て、それに類似した架空の話が作られた。
第一次世界大戦以前の最初期のスパイ小説には、以下のような作品がある。
ジェイムズ・フェニモア・クーパー『スパイ(The Spy)』(1821年)ならびに『The Bravo』(1831年)
ラドヤード・キップリング『少年キム(Kim
アーサー・コナン・ドイルの創造したシャーロック・ホームズは、一般に推理小説(探偵小説)の主人公と見なされがちだが、シャーロック・ホームズシリーズのいくつかの作品はスパイ小説である。『海軍条約文書事件』(1893年)、『第二の汚点』(1904年)、『ブルースパーティントン設計書』(1912年)のホームズは外国のスパイからイギリスの重大機密を守り、『最後の挨拶』(1917年)では第一次世界大戦前夜、自ら二重スパイ(Double agent)になり、ドイツに嘘の情報を与えている。
ジョゼフ・コンラッドの『密偵(The Secret Agent)』(1907年)は、スパイ活動とその結果を、個人的にも社会的にもよりシリアスに見つめている。革命家グループの綿密な調査と、グリニッジ天文台爆破を企むテロリストの陰謀がそこには描かれ、一連の個人的な悲劇で終わる。
この時期、最も読まれたスパイ小説家というと、ウィリアム・ル・キュー(William Le Queux)である。文体は月並みで古臭かったが、第一次世界大戦前のイギリスでは売れっ子だった。ル・キューに続くのがエドワード・オッペンハイムで、1900年から1914年にかけて、この2人で数百冊のスパイ小説が書かれたが、物語は紋切り型で文学的価値はまったく認められなかった。 第一次世界大戦中の傑出したスパイ小説家は、熟練した宣伝機関の一員ジョン・バカン(John Buchan)だった。バカンは戦争を文明と未開の対立として描いた。バカンの作品で最も知られているのが、リチャード・ハネイ(Richard Hannay
第一次世界大戦
フランスでは、ガストン・ルルーがスパイ・スリラーを書いた。その中には、探偵ジョセフ・ルールタビーユ(Joseph Rouletabille)シリーズの『都市覆滅機(Rouletabille chez Krupp)』(1917年)も含まれる。モーリス・ルブランも『オルヌカン城の謎』(1915年)(アルセーヌ・ルパン・シリーズ)を書いた。 第二次世界大戦を迎えるまでに、スパイ小説の形式の力強さと融通性が明らかになっていった。たとえば、サマセット・モームのような退役した情報部員による小説が現れた。モームの『アシェンデン』(1928年)では、第一次世界大戦のスパイが生々しく描かれた。やはり元情報部員のコンプトン・マッケンジー(Compton Mackenzie
第二次世界大戦前
エリック・アンブラーはスパイ活動に巻き込まれる普通の人々を描いた。『暗い国境(The Dark Frontier)』(1936年)、『恐怖の背景(Uncommon Danger, アメリカ版タイトル:Background to Danger)』(1937年)、『あるスパイへの墓碑銘(Epitaph for a Spy)』(1938年)などである。