スバル・360
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スバル360
K111/212型
1958年式 360 フロント(トヨタ博物館にて)
1960年式 360 リア
概要
販売期間1958年3月 ? 1970年5月
設計統括百瀬晋六
ボディ
乗車定員4名
ボディタイプ2ドアファストバックセダン
2ドアオープントップ
エンジン位置リア
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンEK31型 強制空冷2ストローク直列2気筒自然吸気356 cc
最高出力16 ps / 4,500 rpm
最大トルク3.0 kgf・m / 3,000 rpm
変速機3速MT
サスペンション
トレーリングアーム
後トレーリングアーム
車両寸法
ホイールベース1,800 mm
全長2,995 mm
全幅1,295 mm
全高1,335 mm
車両重量385 kg
その他
生産台数39万2016台[1]
類似車フォルクスワーゲン・タイプ1
フィアット・500
系譜
先代なし
後継スバル・R-2[2]
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スバル360(SUBARU 360)は、富士重工業(現・SUBARU)が開発した軽自動車である。1958年から1970年までのべ12年間に亘り、約39万2,000台が生産された[1]

本車両の表記には、いくつかのケースがある。例えば本記事名のように「スバル・360」と表記したり、ビデオゲーム「グランツーリスモシリーズ」では「スバル スバル 360」とブランド名+車名で表記したりすることもある[3]。しかし本来の名称はスバルブランド発足前に製造されたことから、また後述する車名の由来によりペットネームとして「スバル」とついたことから、本記事における表記は出典元のタイトルを除いて「スバル360」で統一する[注釈 1]
概要

航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られた空間で必要な居住性を確保するための新しいアイデアが数多く導入された量産型軽自動車である。

比較的廉価で、十分な実用性を備え、1960年代の日本において一般大衆に広く歓迎されて、モータリゼーション推進の一翼を担った。ゆえに日本最初の「国民車(大衆車)」と考えられている。同時に「マイカー」という言葉を誕生・定着させ、日本の自動車史のみならず戦後日本の歴史を語る上で欠かすことのできない「名車」と評価されている。

模範となったフォルクスワーゲン・タイプ1あだ名となっていた「かぶと虫」(ビートル)との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。2017年(平成29年)に撮影されたスバル360
隣のミニバン(トヨタ・ノア)との車体サイズの違いがわかる

生産終了後も、1960年代を象徴するノスタルジーの対象として、日本の一般大衆からも人気・知名度は高い。本モデルが初めての自家用車だったという中高年層が多いこともその傾向を強める一因となっている。生産終了後半世紀以上近く経過しているが、後期モデルを中心に動態車および動態保存車も少なくなく、愛好者のクラブも結成されており、今なおまれに路上を走る姿を見ることができる。
スバル以前の軽自動車

スバル360発売以前の1950年代中期、日本における国産乗用車は複数の大手メーカーから発売されていた。しかしその価格は小型の1000 cc級であっても100万円程度の価格であり、月収がわずかに数千円レベルであったほとんどの庶民にとっては縁のないものであった。軽自動車の規格自体は1949年から存在したが全幅は1.00メートルに制限されており[4]、この数値は2輪車のバーハンドルよりも若干幅の広い3輪貨物車の荷台が辛うじて成立する水準で、もっぱら2輪車や3輪トラックを製造することを念頭に置いた規格であった。1950年には全幅1.30メートルに拡大された[4]が、エンジン排気量の制限があり、少なくとも1954年の規格改定時点までは本格的な4輪自動車を成立させるのは難しく、これに準拠して4輪の乗用車を製造する大手メーカーはほとんどなかった。

史上初の4輪軽乗用車は、1952年に製造された250cc車「オートサンダル」と見られている[5]名古屋市昭和区の零細メーカーである中野自動車工業が、三菱の汎用単気筒エンジンを用いて手作業で製造したもので、リアエンジン2人乗りのフリクションドライブ車であった。およそ通常の実用に耐えうる性能ではなく、1954年までに200台ほどを製造し、その後前輪駆動モデルの開発を行ったが量産化せずに生産中止したと言われているが、中野自動車については零細企業のためほとんど資料が残されておらず詳細は不明である。

その後1957年頃までに、いくつかのメーカーが4輪軽乗用車の開発を行った。「NJ(のち『ニッケイタロー』)」(日本自動車工業 1953-1957年)、「テルヤン」(三光製作所 1957年)などは、何れも零細企業が技術的裏付けの薄いままに急造した粗末なもので、長続きはしなかった。

日産自動車社員で野心的な自動車技術者の富谷龍一は、大手織物メーカー傘下の自動車ボディメーカーである住江製作所で、超軽量4輪軽自動車「フライングフェザー」を開発した(1954 - 1955)[5]リアエンジンV型2気筒の350cc・2座席である。4輪独立懸架の採用はともかく、華奢な外観は商品性に乏しく、前輪ブレーキがないなど性能的に不十分な面も多かった。数十台が市販されただけで製造中止となった。

富谷は1956年に後輪を1輪としたFRP製フル・モノコック車体の125cc2座キャビンスクーター「フジキャビン」を、富士自動車で開発したが、こちらもパワー不足と操縦安定性の悪い失敗作で、85台しか作られていない。

比較的まっとうな成績を収めたのは、自動織機メーカーから2輪車業界に進出していた鈴木自動車工業(現・スズキ)で、1955年に前輪駆動の360 cc車「スズキ・スズライト」を開発した。これは実質西ドイツボルクヴァルトのミニカー、「ロイトLP400(Lloyd LP400)」を軽自動車規格に縮小したような設計で、外観も酷似していた。


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