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出典検索?: "スノーボード"
スノーボード
スノーボーダー
起源1960年代
アメリカ合衆国
特徴
カテゴリ雪上競技
実施状況
オリンピック1998年
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スノーボードの風景。
スノーボード(snowboard)は、サーフィンやスケートボードのように横向きになって板に乗り、バインディング(ビンディング)と呼ばれる留め具で足を固定し雪の斜面を滑る遊び、スポーツである。ウィンタースポーツのひとつ。スノーボードをする人をスノーボーダーと言う。エクストリームスポーツととらえられることが多い。(動画) スノーボード、白馬五竜スキー場にて。 サーフィンやスケートボード同様に、横乗り(サイド・ウェイ・スタンス)スポーツである。左足が前になるレギュラースタンス、右足が前になるグーフィースタンスがある。利き足の呼称なので、レギュラースタンスの人は右足を前にして滑ってもグーフィー・スタンスとは呼ばれずに、スイッチ・スタンスと呼ばれる。右利き手が多いように、グーフィーよりレギュラーの割合が多い。 「スノーボード」という名称は、アメリカとカナダを中心とした北米スノーボード協会が発足した時、新しいスポーツのジャンルとしてスノーボードという名称に統一したことに始まる。1940年代まで、同じく「スノーボード」という名称の雪上を滑るボブスレーのような競技が存在していたが、一般には普及しなかった。 英語で"snowboard"は「スノーボードする」という動詞であるため、名詞として使う場合は"snowboarding"と言うことが多い。また、1980年代の一時期、アメリカの玩具会社が"Snowboard"の商標登録を持っていたため、"snoboard"という表記も当時よく見られた。 もともとはサーフィンやスケートボードを雪山でも、といった楽しみ方をされていたが、既にスキー場という娯楽施設が整備されていたため、その環境にも適応すべくスキー製造技術を取り入れていった。圧雪された斜面での滑走性能が上がり、現在では整備されたゲレンデで滑るのが一般的となったが、ゲレンデ外(オフピステ)の雪山を滑るバックカントリースノーボードも人気である。人工的に管理された範囲外での滑走となるため、より高度な滑走技術だけでなく、雪崩のリスクマネジメント、応急手当など、安全に関わる知識を学ぶことや、ビーコンなどの専用の装備が必要である。バックカントリースノーボードはビッグマウンテン、狭義にはエクストリームなどとも呼ばれる。 国内においてはオフでも気軽にジャンプを練習できる施設が多く、そこでは雪の代わりにブラシを使用し一年中スノーボードができる環境を提供している。人工雪によるインドア施設も多い日本では、外国よりもよりスノーボードが年間で楽しめる環境が整っている。 スノーボードとスキーは、雪の上を滑走する競技という意味では同列であるが、オリンピックや全日本スキー連盟のカテゴリーとしてはスキーの下位概念とされている。(スノーボードはスキーの一種という考え。) 雪山を1枚の板で滑ることは1800年代にはすでに行われていたとも言われているが、アメリカ合衆国で1963年にトム・シムスがスケートボードを加工して作った「スキーボード」や、1965年にシャーマン・ポッペン (Sherman Poppen) が作った「Snurfer その後派生した初期のスノーボードは、板の面積が大きく、降雪後に山に登り新雪をサーフィン感覚で滑り降りるもので、「スノーサーフィン」と呼ばれた。滑走面から飛び出したフィンが付いており、圧雪されたゲレンデでは上手く滑ることができなかった。 1970年代初め、ユタ州ソルトレイクでディミトリー・ミロビッチによって設立されたウインタースティック社のカタログには「30cm以上の深雪が必要」と記されている。スノーサーフィンは、その後派生する多くのスノーボードメーカーにも大きな影響を与える。 1971年 田沼進三によって設立されたパイオニア・モス社が、サーフボードのウレタンフォームとグラスファイバーを使用したプロトタイプを作成。フィンとエッジがあり、バインディングはないものであった。 1972年 ボブ・ウェバーが「スキーボード」デザインの特許を取得。これは1990年8月17日、ジェイク・バートン・カーペンターに売却される。 1975年 ディミトリー・ミロビッチがウィンタースティック社の工場を設立。初期のボードからメタルエッジを取り除き、ダブルエッジを開発し、特許を取得。 1976年 トム・シムスがシムス・スポーツ社を設立。 1977年 ジェイク・バートン・カーペンターが、バートン・スノーボード社を設立し、1980年代中頃ゲレンデを滑る事が出来る道具を開発すると同時に、大量生産の体制を築く。日本ではスポットビルトアジアが輸入を開始、ムラサキスポーツ、マリンプラスチック等が販売を始めた。 1979年 日本では1970年代後半からいくつかの小規模なメーカーが興されたが、パイオニア・モス社がスキーの解放型プレートを改良した固定式ハードバインディングを持つ「MOSS snowstick」の販売を開始。これはスキーブーツの使用を前提とし、世界で初めて固定式バインディングを採用したものであり、「MOSS SNOWBOARD」は現存する世界的古参メーカーとして知られている。 1981年 シムスがメタルエッジつきボードを開発。コロラド州で初めての大会が開催されたと言われている。 1983年 世界初の国協会として日本スノーボード協会が発足。「第一回全日本スノーサーフィンチャンピオンシップ」開催。 1985年 ヨーロッパと北アメリカでもスノーボード協会が発足。トム・シムスが、ロジャー・ムーアの代わりにスノーボードのスタントを務めた映画、ジェームズ・ボンドの「007 美しき獲物たち」が公開される。 1986年 スイスのスノーボードクラブが「インターナショナル・スイス・チャンピオンシップ」をサンモリッツで開催。 1987年 アメリカ・ブレッケンリッジとイタリア・モリッツで世界初の国際級大会「International World Championship」開催。競技種目はスラロームとハーフパイプであった。翌シーズン、ヨーロッパとアメリカでワールドカップシリーズ5戦開催。この頃から国協会も増えていく。 1989年 初めての国際協会として「国際スノーボード協会」が発足。ただし、ヨーロッパ内での活動。 1990年 初めてのプロ協会がスイスで発足。アジア、ヨーロッパ、北アメリカで、ワールドカップ大会16戦が再開される。 1990年代に入り、当時若者に人気があったスケートボードのイメージと重なり、爆発的ブームとなって産業として育ってゆく。 1991年 国際スノーボード連盟が発足。ワールドカップ大会3戦開催。 1998年 長野冬季オリンピックより、アルペンスタイルのパラレル大回転、フリースタイルのハーフパイプが正式種目となった。 2002年 国際スノーボード連盟が解散、世界スノーボード連盟が発足。 2006年 トリノ冬季オリンピックより、スノーボードクロスが正式種目となった。 2014年 ソチ冬季オリンピックよりアルペンスタイルのパラレル回転、フリースタイルのスロープスタイルが正式種目となった。 2018年 平昌冬季オリンピックよりビッグエアが正式種目となった。 表面と滑走面が一体となった一枚の板に、バインディングが直接取り付けられるようになっていて、進行方向に対してバインディングを、斜めまたは横向きに取り付けたもの。 大きく分けてフリースタイル(ソフト)とアルパイン(日本スノーボード協会ではアルパイン、全日本スキー連盟ではアルペンと日本語表記する、ハード)の2種類がある。
概要
歴史
用具スノーボード